全聖徒主日:救いの確信

2012年11月4日
全聖徒主日


黙示録 21:22-27
わたしは、この都の中には聖所を見なかった。全能者にして主なる神と小羊とが、その聖所なのである。都は、日や月がそれを照す必要がない。神の栄光が都を明るくし、小羊が都のあかりだからである。諸国民は都の光の中を歩き、地の王たちは、自分たちの光栄をそこに携えて来る。都の門は、終日、閉ざされることはない。そこには夜がないからである。人々は、諸国民の光栄とほまれとをそこに携えて来る。しかし、汚れた者や、忌むべきこと及び偽りを行う者は、その中に決してはいれない。はいれる者は、小羊のいのちの書に名をしるされている者だけである。

今日、全聖徒主日をお祝いします。イエス様を救い主として信じて死んだ人々を記念します。彼らが天国の神様と共にいるのでお祝いします。又、私達もイエス様を救い主として信じて、私達も永遠に天国で生きるので喜びます。ですから今日は、過去を覚えながら未来を待ち望みます。天に召されたキリスト信者を覚えます。彼らの信仰と神様を信頼した事を思い出して、同じように生きるようにします。

これらのキリスト信者達は完全な者ではなく、彼らにも欠点がありました。罪を犯しました。でも「聖徒」と呼ばれるのは、彼らの罪が赦され、十字架上で流されたキリストの血によって、清められたからです。私は自分の両親やお祖父さんたちを覚えています。 彼らの欠点が分かりますが、彼らの良い点も分かります。 私は彼らの人生の悩みを知っています。彼らが信仰によって、どのように祈ったかを覚えます。これは自分がキリスト信者として人生を送る為の力と勇気を与えてくれます。彼等は私のための模範、私の為のヒーローになります。

キリストを信じるすべての人々の名前が天国の「命の書」に書かれていますので、喜びます。信仰を持って死ぬ人々の名前がそこに記録されています。私達はまだ生きていますが、イエス様を信じていますので、私達の名前も命の書に書かれています。私達は「聖徒」として登録されています。「神の国の国民」として登録されています。クリスマスの物語には、イエス様がベツレヘムでお生まれになったのは、マリアの主人ヨセフの祖先がそこに住んでいたので、住民登録の為に、彼らはベツレヘムに行きました。その時、イエス様はこの世界の者として登録されました。そして人間として、イエス様は生きて、苦しんで、死んで、甦りました。このようにして、神様はご自分の素晴らしい愛を私達に見せて下さいました。イエス様が私達の世界の一人に成ったのは、この罪の世から私達を救い出して、神の国に連れて行く為でした。天国の国民として、この地上で外国人や旅人のように生きていても、永遠の命の約束があります。私達の名前が「命の書」に書かれていますので、今日、それをお祝いします。

この有名な質問を聞いた事がありますか。「もし今晩あなたが死んだなら、あなたは天国に行きますか?」私たちは自分の救いに確信を持つ事が出来ます。私たちがイエス・キリストを私たちの救い主であると信じ、自分の罪を神様の前に告白し、神様の赦しを受け入れるのなら、救いの確信を持てます。もっと確信させるのは、聖礼典です。洗礼と聖さん式です。聖餐式の時、私たちは罪を告白し、キリストが必要であると認め、イエス様の尊い血と肉を頂くことにより、罪の赦しを受け、救いの確証、約束、永遠の命への印を頂きます。

私たちがイエス様を救い主として受け入れるとき、私たちの名前は命の書に書かれます。正式なすばらしい救いをお祝いする儀式があります。洗礼式と呼ばれています。洗礼によって、まず私たちの名前が呼ばれ、次に神様の名前が呼ばれ、「父と子と聖霊の名において、アーメン」と言います。私たちの名前は神様の名前と共に記録されています。ですから洗礼はとても大事で大切です。神様のサインで私たちは救われています。洗礼の水によって私たちの罪は洗い流されました。ですから全ての人が洗礼を受けるように、彼らの家族を洗礼し、その洗礼を日々覚えるように;たとえば非常に日常的な手を洗うように、あなたの罪を悔い改め、あなたの救いを確信するようにと勧めます。

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


説教のリスト