アドベント:私達に向かって来るイエス様

2020年11月29日、アドベント第一主日

マルコ11:1-10

今日からはアドベントです。アドベント・クリスマス・顕現節の始まりです。「アドベント《と言うラテン語の言葉の意味とは、「来る事《です。又、「向かって来る《と意味します。「降臨(こうりん)節(せつ)《や「待降(たいこう)節(せつ)《と言う呼び方もありますが、「イエス様が来られる《の「来る《の「アドベント《の呼び方が好きです。この教会の季節の聖書日課が覚えるのは、どのようにイエス様が私達に向かって来られたかです。クリスマスとしゅろの日曜日、宣教の働きと教えなどです。同時に、世の最後にイエス様の再臨も待ち望みます。それは全部大切です。何故ならば、イエス様が今日と人生の毎日に私達に向かって来られるからです。救いと赦しと平和の祝福を持って来られます。

マタイによる福音書の第一章はこのように言います。「22 このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。23「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その吊はインマヌエルと呼ばれる。《この吊は「神は我々と共におられる《という意味である。《アドベントがお祝いするのは、私達と共になる為に、イエス様が来た・来る事です。

アドベント第一主日の伝統的な福音書の日課は、イエス様のエルサレムの入場です。その出来事は、しゅうろの日曜日です。十字架上で死んで3日目に復活した一週間前でした。アドベントにフィットしないように感じるかもしれませんが、これはクリスマスの意味を説明します。即ち、イエス様はずっと飼い葉おけに寝かせていた訳ではありません。いつも赤ちゃんではいませんでした。イエス様が生まれた目的とは、私達の救いの為に死んで復活する事です。赤ちゃんのイエス様の誕生についてのクリスマスの賛美歌や他の歌を歌います。綺麗なデコレションやギフトやサンタや雪やパーティが沢山ありますので、このクリスマスの季節の本当の意味を忘れやすいです。その意味とは、マタイの福音書の第一章にあります。「1:20 このようにヨセフが考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。21 マリアは男の子を産む。その子をイエスと吊付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。《《この小さい子どもには大きなミッションがありました。即ち、「自分の民を罪から救う《事です。赦しだけではありません。罪の結果から救い出す事です。私達を死と地獄から救い出す為です。

ですからイエス様は私達に来ました。私達と共にいる為に来ました。それで、私達はイエス様と共にいる事が出来ます。御自分の元に来るように私達を招きます。一緒にいる事、ご自分に従う事、ご自分と共に生きる事はイエス様のみ心です。

子ロバに乗ってイエス様がエルサレムに入場した時、前を行く者も後に従う者も、大勢いました。私達もその群衆に参加しなければなりません。イエス様が自分の主と救い主であると信仰告白しなければなりません。「ホサナ。アーメン。ハレルヤ。《又、現代の若者がプライドを持って言うように「オーマイゴッド《です。

本当の信仰告白は、口だけではなくて、人生のすべてです。私達はイエス様と共に生きるからです。イエス様は私達と共に活動するからです。即ち、神様は、遠く離れている天国や昔の飼い葉おけに寝かせていません。神様は私達の人生のタダ中に生きていて、私達と共に住んでいます。聖書はこれがはっきりと表わします。ベツレヘムで生まれ、ヨルダン川に洗礼を受けて、山上で説教して、エルサレムに入場し、十字架上で死んで、お墓から復活し、弟子達の所に来られて、聖霊を送りました。

世界の問題と自分個人の問題が多いので、イエス様が私達の人生の中に来られる事が、見づらいかもしれません。しかし、私達が一人ぼっちでしても、イエス様は私達と共にいます。自分が見捨てられたと感じても、イエス様はその気持ちをよく理解して私達のそばに立つ為に来られます。体が痛い時、イエス様は痛みと十字架上の苦しみを知るので、私達には何が必要か分かります。いらいらする時、イエス様には多くの敵があったと覚えましょう。私達が悲しんでいる時、友達のラザロが死んだ時のイエス様の涙を覚えましょう。又、永遠の命を与える為に復活したイエス様を覚えましょう。

主の祈りに、「み国を来らせたまえ《と言います。これはアドベントの祈りです。信仰を持って、私達の王であるイエス様は私達の心と人生に入るように祈ります。又、「み国を来らせたまえ《とは、信仰告白でもあります。イエス様が私達の人生と心にもうすでに来られたと言います。それで、主の祈りを言う時、力と希望と確信があります。

今日は教会のクリスマスの飾りつけの日です。私達の心をも飾りましょう.鳴ったり歌ったりするベルの鐘です。輝いて、笑顔を出す電気とろうそくです。私達を導く星。私達を守る天使。そして、主イエス様の為の飼い葉おけです。

アーメン。

どうか、イエス様の喜び、平和と愛が、あなたの心のと人生に来るように。アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


説教のリスト

Michael Nearhood, Pastor
Okinawa Lutheran Church


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