「アッバ、父よ」

2008年7月13日
ローマ8:12−17

8:12 それで、兄弟たち、わたしたちには一つの義務がありますが、それは、肉に従って生きなければならないという、肉に対する義務ではありません。 8:13 肉に従って生きるなら、あなたがたは死にます。しかし、霊によって体の仕業を絶つならば、あなたがたは生きます。 8:14 神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。 8:15 あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。 8:16 この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。 8:17 もし子供であれば、相続人でもあります。神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です。キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受けるからです。

神様の事を考えて下さい。最初にどのイメージがあるでしょうか。今度、自分の事を考えて下さい。最初にどのイメージがあるでしょうか。即ち、あなたと神様の間のイメージはどのイメージでしょうか。その関係は何でしょうか。私達の神様との関係をいろいろの方法で言い表す事が出来ます。

ローマ人への手紙の中で、聖パウロは、私達の神様との関係をいろいろ描きました。例えば、創造主と創造物、雇い主と雇い人、夫婦、そして、今日は、父親と子供です。

この堕落した世では、私達は神様の子供として生まれていなくて、かえって、私達は肉の子供として生まれました。それは自然に、肉に従って生きるのです、この世の欲望に従って生きる、罪の奴隷です。今日の事を心配し、明日の事を心配し、昨日の事を嘆いて(なげい)生きるのです。それは恐れの人生です。他の人よりも先に前にでることに一生懸命で、他の人と喧嘩しても、他の人を傷つけてもかまわないみたいです。私達の世界は私たちの回りをただぐるぐる回っているだけです。罪がない、何も罪がないと思うのは、なにが罪かを定義する神様が、私たちの人生に無いからです。聖パウロは、これは奴隷の状態のようであると言います。そして、自分で自分を救い出す事が出来ません。

しかし、聖霊は福音によって私達を呼び出しました。聖霊は私達に神様を見せて下さいました。聖霊は、私達を信仰へと導いて、又、洗礼の水までにも私達を導いて下さいました。洗礼式は、子供を養子にする儀式のようです。水と神様の約束の御言葉とその約束を信じる信仰によって、子供を養子にする儀式のようです。このときから私達は神様の子供です。

人間の肉は死にます。肉の子供でしたら、死を遺産としてもらいます。しかし、神様は永遠の者です。神様の子供でしたら、永遠の命を遺産としてもらいます。

私達は罪と死の奴隷であった時、「はい、ご主人様」や「イエス、サー」しか言えませんでした。神様の子供になると、「アッバ、父よ」と言います。「アッバ」とは、スウエーデンのバンドの名前ではありません。「アッバ」とは、ヘブライ語の言葉、「父」と意味する言葉から来ます。例えば、旧約聖書のイスラエルの父の名前は「アブラハム」です。その名前の意味とは、「多くの人々の父」です(創世記17:5)。しかし、「アッバ」は、ただ「父」や「お父さん」と訳するよりも、「パパ」の方が良いです。子供が自分のお父さんの事を言う時の言葉です。「パパ!」「パパ、水ちょうだい!」「パパ、大好きだ」。これは、私達の天国のお父さんとの関係を表します。主の祈りで、「天にましますパパ」と言っても良いでしょう。その確信、その喜び、その愛を持って祈れば良いです。この父こそが私達を守るからです。このお父さんこそが完全に私達を愛して下さるからです。このパパこそが、そのほかの子供であるイエス・キリストを使わして、私達皆の息子と娘を救う為に十字架上で死んで下さいました。

普通、父親が死にますと、子供は遺産をもらいます。しかし、神様が死ぬ事が出来ませんので、私達は、私達が死んだ後に完全にその遺産をいただきます。いただくのは、イエス様が私達の先にもう既に死んだからです。イエス様の死と復活によって、天国の宝が私達に与えられています、特に、赦しと永遠の命の賜物です。

私達が神様の子供であるので、聖パウロは、私達が神様の子供らしく生きるように勧めます。私達は聖霊によって導かれています。肉の業、罪の体の業を後にして生きると良いです。私達はもう、奴隷の主人を恐れる奴隷ではなくて、天の父を愛する娘と息子になりました。聖霊は私達を導いて、キリストと同じように生きるように導きます。それは、キリストと共に苦しんで、彼と共に栄光を受けるようにです。キリスト信者になる事には不便な所があると同時に、そこには大きな喜びもあります。それはキリストの家族の中に入る喜びです。

天の父の子供には、その家の働きがあります。例えば、食事の前に食卓の準備をし、客様を歓迎する事、教会の家の掃除、教会に来るように人を誘う事、神様の御言葉の種を蒔く事です。そして、一番大きな働きとは、神様の家に通って礼拝する事です。そこで、私達は歌ったり、祈ったりします。主の祈りを唱えて、「アッバ、父よ」と言います。

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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