五千人に食べ物を与える、ピクニック

2008年8月3日  合同礼拝

マタイ14:13−21
マタイ14:13 イエスはこれを聞くと、舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた。しかし、群衆はそのことを聞き、方々の町から歩いて後を追った。14:14 イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人をいやされた。14:15 夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。」14:16 イエスは言われた。「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」14:17 弟子たちは言った。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」14:18 イエスは、「それをここに持って来なさい」と言い、14:19 群衆には草の上に座るようにお命じになった。そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた。14:20 すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。14:21 食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであった。

子供の説教

ピクニックの遠足が好きですか。私も好きです。楽しいピクニックの為に、2つの事が必要です。1、面白い事が出来る場所に行く事と、2、食べ物です。

遠足やピクニックで、何をしたら楽しいでしょうか。海で泳いだり、山でハイキングしたり、釣りや、公園で遊んだり、音楽を聞いたり、又、ただのんびりすごします。

聖書の中で、イエス様がピクニックに行った事があると思いますか。イエス様はよく海辺に行ったり、山に行ったり、田舎に行ったりしました。その時、多くの人々がイエス様の後について行きました。イエス様はその人々に対しても話しました。病気の人を癒しました。ある時、何千人もの人々がイエス様の所に集まりました。皆はイエス様の話を聞く事が大好きでした。それは、イエス様が神様の愛について話していたからです。それが人々に希望と喜びを与えました。人々に福音、即ち、救いの良い知らせを伝えました。人々がイエス様の話を聞いたら、とても面白いので興奮しました。

聖書の幾つかの特別な話しの中で、大勢の人々がイエス様の話を聞きに来ました。イエス様の話を聞いて、彼らが家に帰る前に、何かを食べなければなりませんでしたが、食べ物がありませんでした。今日の話には、5000人以上の人々がいました。子供を連れて来た家族もいました。皆はお腹がすいていたのですが、家を出る前にお弁当を準備しませんでした。なぜかと言いますと、イエス様が行く事を見て、イエス様の後について行きたいと思って、何も持っていかないで急いで家を出たからです。

しかし今、いなかにいます。人里(ひとざと)離(はな)れた所で、店もレストランもない所でした。どこで食べ物を見つけられるでしょうか。答えは:どこにもありません。近くの村の店にも、5000人を食べさせる食べ物がないでしょう。イエス様は人々の事を心配しました。食べ物がなければ、あなたのお母さんとお父さんが心配するでしょう。お腹が空き、疲れてしまって、体が弱くなって、自分の家まで歩いて帰る事が出来ないでしょう。ですから、イエス様は皆に何か食べ物を与えようと思いました。

弟子達が探したのですが、見つかったのは、パン五つと魚二匹しかありませんでした。(5つのパンと2枚の乾燥した魚のお弁当を見せる。)イエス様が「それをここに持って来なさい」と言われた時、弟子達はどう思ったでしょうか。イエス様が彼らの食べ物を取って別の人に与えたら、彼らには何も食べるものがないと心配したでしょうか。しかし、彼らはイエス様を信頼しました。

人々は草の上に座りました。そして、イエス様はとっても特別な事をしました。先ず、神様に祈りました。私達が食前の祈りをするのと同じように、イエス様も食べる前に祈りました。その食事を祝福するように祈りました。そして、神様は本当に特別な方法でその食べ物を祝福しました。イエス様は、そのパンを裂き始めて、弟子達に渡して、そして、弟子達がそれを群集の人々皆に配りました。魚も同じでした。そして、皆は食べて、満腹しました。そして、食事の後、弟子達は、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになったのです。最初にあったのは、お弁当の籠が1つだけでしたが、残り物が12の籠でした。素晴らしい数学です!

食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどでした。それなのに、最初にあった物よりも残り物が多いでした。と言うのは、イエス様が奇跡をする時、とても上手にします。イエス様の祝福が素晴らしい、とっても素晴らしいです!

ある人々は、奇跡を信じませんし、神様の力も信じません。その人々が今日の話を読みますと、このように説明します:一人の人が自分のお弁当を他の人と分かち合いました。ほかの人がそれを見て、自分達のお弁当を近くにいる人と分かち合ったと。このようにして、すべての人々が何かを食べられました。ある面から見ると、それも奇跡のようでしょう、何故ならば、普通、人々はけちです。他の人と自分の持ち物を分かち合う事が嫌いです。ですから、その日、もし人々が自分の食べ物を分かち合いましたら、それは愛の奇跡のようです。それは良い事でしょう。私達もそれをすべきです。即ち、自分の物を貧しい人と分かち合う事です。又、友達が自分のお弁当を忘れましたら、自分の食べ物を分かち合う事が素晴らしい、親切な行為でしょう。世界中で食べ物が無く、飢きんなどで飢えて死ぬ人々が沢山いますので、チャリティーに寄付したら良いでしょう。しかし、今日の福音書の話は、そのような出来事ではありませんでした。そうでしたら、そのようにかかれているでしょう。しかし、今日の話は奇跡の話です。五つのパンと2匹の魚を持って5000人の人々を食べさせる奇跡です。

私は奇跡を信じます。と言うのは、もしイエス様が神様でしたら、彼が奇跡をする事が出来ます。もし神様が全能のお方でしたら、神様が何でもかんでもお出来になります。そして、イエス様が神様である事を信じる事が大事です。と言うのは、もし、イエス様が全能の神様でしたら、十字架上で死んで3日目に甦る事が出来ます。神様でしたら、御自分の上に、全世界の罪を取って、それを赦す事が出来ます。もしイエス様が永遠の神様でしたら、御自分の上に、昔の罪も将来の罪も取って赦す事が出来ます。そして、イエス様が神様ですので、3日目に甦る事が出来ます。そして、世の最後にこの地上に戻り、死んだ人を甦らせて、天国の永遠の命を与える事が出来ます。

聖書の中では、天国は大宴会の御馳走のようです。食べ物でいっぱいです。楽しい時です。聖書の中では、結婚式の披露宴のようなものを話しますが、大きなピックニックのようでもあるでしょう。嬉しい、喜びの時です。

今日、礼拝の後に、持ち寄りの昼食会があります。誕生日の歌を歌います。おいしい物を食べます。そして、食前の祈りの中で、この食べ物の為に神様に感謝しますし、友達の為に感謝しますしイエス様が私達の救い主であるので感謝します。

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会

大人の為の説教

聖餐式

先に、海辺でのピクニックについて長く話しました。今、違う夕食、イエス様の最後の晩餐について短いコメントを言いたいと思います。 その時も、イエス様はパンを取って、神様に感謝して、パンを裂いて、弟子達に与えました。このパンの役に立つのは、一つの夕方の5千人の人々の為だけではなくて、代々数え切れない多くの人々の為です;その人々は、パンとぶどう酒と共にキリストの体と血をいただきました。この食事は信仰を支えます。信仰によって信じるのは、キリストの体が十字架上で死んで、キリストの血がそこで私達の罪を赦す為に流されました。聖餐式をいただく時、その行動が私達の信仰を告白します。ですから、先に自分の信仰を公に告白した人々だけがこの聖餐式をいただきます;その公の告白とは、洗礼、堅信式、及び発ばい餐と呼ばれています。聖餐式は、ピクニックではありません。真面目なものです。と同時に、信仰のお祝いです。救いの喜びです。
アーメン。


説教のリスト