クリスマスの平和――#3、馬小屋のヨハネ

アドベント第3主日、2013年、12月15日マタイ11:2−15

マタイ11:2−15

アドベントとクリスマスの説教のテーマは、ピースからピースへ。即ち、小さい物のピースから平和のピースになる事です。今日は、馬小屋のかくピースを見ましょう。教会の中の祭壇の上にある馬小屋のシーンには、幾つかのピースがあります:マリア、ヨセフ、赤ちゃんのイエス様、かいばおけ、羊飼い、羊、博士、ラクダ、そしてロバもいます。天使がいないみたいです。1階の玄関の馬小屋のシーンには、立派な天使がいます。もう一つの無いピースもあります。どんな馬小屋のシーンの中にも、見た事が無い大切なピースです。バプテスマのヨハネです。彼はどこですか?

アドベント福音書の日課には、バプテスマのヨハネがよく出てきます。大切な役割です。ヨハネはメシアが来られると告げます。人々が悔い改めるように言いました。私達も悔い改めるように私達にも言います。私達が自分の罪を知る時、自分の罪の結果を知る時、罪の為に平和がどんなに崩れているか見る時、その時私達の罪を赦してくれる救い主を待ち望みます。私たちの所に来られて、私達の心と人生に平和を下さいますので、最後の天国の平和もあります。

クリスマスの福音の中でヨハネは大切な人です。ルカの福音書の一章で、天使ガブリエルはマリアの所に来ます。天使は彼女がイエス様の母になると教えます。イエス様の父はヨセフではなくて、父なる神様が父です。使徒信条が言います、「主は聖霊によりて宿り、おとめマリアより生まれ」たと。マリアが分からないので、天使は、神様には何でもかんでも出来ると言います。そしてその証拠の為に、マリアに一つのしるしを与えます。それはマリアの親戚、エリサベトが年を取って、もう赤ちゃんを産む事が出来ない年齢になっていても、奇跡によって妊娠中です。天使ガブリエルはもう既にこの事を、ヨハネの父になるザカリアに告げました。それで、ヨハネはイエス様のいとこで、イエス様より6ヶ月年上です。それで、マリアはエリサベトとザカリアの家を訪ねて、ヨハネの誕生を見ました。

馬小屋のシーンのヨハネのピースがあれば、それは赤ちゃんでしょう。愛する母の腕に寝ているか、誇らしい父の膝の上に座るでしょう。しかし、大人になったヨハネの方がいいでしょう。天使のそばに立ちます。何故ならば天使のように、彼にも神様からのメッセージがあるからです。そして、そのメッセージは私達の為にも送られています。ですからそこにいます。彼のメッセージが私達にクリスマスの平和を与えます。イエス様がメシアで、私達の罪を赦す救い主、聖霊を私達に下さるキリストであると言うメッセージです。

しかし、今日の福音書の日課には、ヨハネはそれを確認したいと思いました。しるしが欲しいと思いました。クリスマスのストーリーには、天使はマリアにサインを与えまして、又ザカリアにもしるしを与えて、夢の中でヨセフに尋ねて、羊飼いたちにもしるしを与え、博士達には星を見せました。ヨハネもサインを見たいと思いました。そこで、自分の弟子たちを送って、11:3 尋ねさせた。「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」そして、イエス様はしるしとしてこのように言われました。「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。11:5 目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、らい病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。11:6 私につまずかない人は幸いである。」

私達も、ヨハネと同じ質問を言います、「イエス様が救い主ですか。それともほかの方を待たなければなりませんか。」私達は、聖書の中でイエス様の奇跡と癒やしを読みました。それは信じるのに充分でしょうか。クリスマスの天使とクリスマスの奇跡を聞きました。それで充分でしょうか。イエス様が十字架上で死んで3日目に甦ったと知ります。イエス様が本当に救い主であると確認する為に充分でしょうか。私達の心の中で信仰を起こすのは何でしょうか。どうしてまだイエス様を信じるでしょうか。どうして信仰がある時、平和があるでしょうか。

クリスマスには答えがあると思います。確信させるしるしとは、その星と幻と天使によって、私達が神様の愛を見る事です。神様は私達を愛したので、御自分の一人の子を送りました。それで彼を信じる人は、滅びないで永遠の命を得ます。神様が本当に私達とこの世を愛する事を見ます。神様が私達の為に関心を持っています。それで、私達の所に来られて、私達と共に生きて、私達と共に死んで、私達と共に甦る程、愛して下さいます。私達はお屋敷に住んでも、みすぼらしい小屋に住んでも、馬小屋に住んでも、家が無いので橋の下に住んでも、イエス様は私達の所に来られて私達と共に住みます。私達が良い人でしても、罪人でしても、犯罪人でしても、私達を救う為に、私達の為に死ぬ為に来られました。これは神様の愛です。この愛を告げるのは、天使もバプテスマのヨハネも、その以来もう既に2000年間数え切れない信者達の声があります。バプテスマのヨハネの声が今日も私達に語ります。「主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。」それで、毎年この時期に私達はベツレヘムに旅をします。途中で店によってプレゼントや食べ物を買います。それは他の人と私達の愛を分かち合う為です。神様の愛を分かち合う為です。

それで、馬小屋に、もう一つの大切なピースを置きましょう。それは自分の人形です。私達もそこにいるからです。私達はそのクリスマスの賛美歌の呼び掛けに従うからです。


神の御子は こよいしも
ベツレヘムに 生れたもぅ。
いざや友よ、 もろともに
いそぎゆきて 拝まずや
いそぎゆきて 拝まずや。

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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