第1コリント13章の愛

2016年1月31日
顕現節第4主日

Ⅰコリント 12:31b~13:13、愛 わたしはあなたがたに最高の道を教えます。 13:1 たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。13:2 たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無 に等しい。13:3 全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。

13:4 愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。 13:5 礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。13:6 不義を喜ばず、真実を喜ぶ。13:7 すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。

13:8 愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、13:9 わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。13:10 完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。13:11 幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを棄てた。13:12 わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そ のときには、っきり知られているようにはっきり知ることになる。 13:13 それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。

今日の使徒書はその有名な第一コリント13章です。愛についてです。よく結婚式の時に読まれています。しかし、この箇所は夫婦だけの為にではありません。家族の皆の為にですし、友達の為にも、また同じ職場や学校や教会の人の為にもです。自分の好きではない人の為にもです。


13:4 愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。 5 礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。6 不義を喜ばず、真実を喜ぶ。7 すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。

結婚式で読む時、この新しい夫婦が本当にこのようにして、互いに愛し合うことが出来るように希望して祈ります。完全な愛はどのようなものかを教える為に読みます。 “花子と太郎は忍耐深い、情け深い、ねたまない。。。自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。。。など。”

聖書の愛と言う言葉、アガペは、ただの気持ちの上だけのものではなくて、行動です。行動があるのは、その他の人との関係があるからです。そこには責任があり、愛する義務があります。神様は私達に選択を与えません、他の人を愛するか愛さないかと言う選択チョイスがありません。これは命令です。「隣人を愛せよ。」愛の反対とは、憎しみではないと私は思います。愛の反対とは、罪深く何もしない事でしょう。それは、良いサマリア人の話しの教えです。泥棒に襲われた人を助けてくれなかった人々は、隣人に愛を現されなかった罪人です。

愛は行動です。愛は私の心から来ます。私の頭からも来ます、又、何も考えないでわき出す愛もあります。愛は私がどの者であるかを現します。私がする愛は私です。私達を定義する事です。それで、4節から7節までもう一度読みます。今度、「愛」と言う言葉の代わりに、自分の名前を置き変えます。聞きながら、皆さんも自分の名前を入り変えて下さい。

マイケルは忍耐強い。マイケル[自分の名前]は情け深い。私はねたまない。私は自慢せず、高ぶらない。マイケルは礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。マイケルは不義を喜ばず、真実を喜ぶ。マイケルはすべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。

このようにして、この言葉は本当に私の事を現すでしょうか。この言葉はあなたの事を本当に表すでしょうか。あなたの人生はこのようでしょうか、それとも、騒がしいどら、やかましいシンバルの様でしょうか。

聖パウロは書きました、「13:11 幼子だったとき、私は幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを棄てた。」私達は洗礼を受けたので、もう既 に信仰の赤ちゃんではありません。そして、私達の隣人とは、私達の愛を必要とするすべての人です、その人が近くにいましても、遠くに住んでいても隣人です。もし私達は隣人を愛さなければ、私達はキリストの働きをしていないので、私達は本当のクリスチャンとして人生を送っていないことになります。

クリスチャンとして生きる為に、私達にはキリストが必要です。その為にキリストはこの世に来られました。ヨハネ3:16、「神は、その独り子をお与えに なったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」これは神様の忍耐と情けを現しています。キリストは御自 分の利益を求めず、私達の為に十字架上で死にました。これは赦しです。即ち、恨みを抱きません。悪と不義を喜ばず、代えって、真実と正しい事を喜びます。

キリストには本当の愛があります。私達の愛する事の源であり、力です。それで最後に、4節から7節までもう一度読みます。今度、「愛」と言う言葉の代わりに、「キリスト」の名前を言い変えます。

キリストは忍耐強い。キリストは情け深い。彼はねたまない。キリストは自慢せず、高ぶらない。 キリストは礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。キリストは不義を喜ばず、真実を喜ぶ。キリストはすべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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