2022年2月27日 週報より

 

◇ 説 教 要 旨 ◇

「『わきまえ』とは」

ホセア書14章10節

神は「裁き」について語っています。何度も言いましたが「裁き」という言葉は私たちにとって怖い印象を持っていると思います。たしかにそういう面も持っていますが、しかし悪い事を全部さらけ出す必要があります。こういときに全部出さないとまた罪が重くなるのです。

 しかし「裁かれる」というのは嫌なことだけでもありません。リセットされるのです。もう一度神との関係を築くチャンスです。ですから怖い印象だけではないことも知って欲しいのです。

 聖書の素晴らしいところは、罪の指摘等の怖いところだけで終わらないことです。だいたい学校や会社では間違ったり失敗すると怒られます。「もう間違うなよ」とか「気をつけろよ」と言われて終わります。しかし「笑って終われる。」ということは一般社会ではありえません。聖書は違うのです。罪の指摘や怒りで終わりません。例えば罪の赦し、回復、希望、祝福、喜び、感謝、愛等で最後終われるところが聖書の素晴らしいところだと思っています。

 だから私たちは「わきまえ」(10)が必要です。「わきまえ」とは「物事の違いを見極める」とありました。また「(自分の置かれた立場から見て)すべき事とすべきでない事とのけじめを心得る」ともありました。

 私たちは「わきまえ」を知る者です。私たちは「神の子」であり「赦された者」です。神の「力」も知っています。そのことをわきまえて歩みましょう。

 

 


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