1.イエスの洗足の姿はへりくだって人に仕える姿@弟子の足を洗う姿は人の前にひざをつき仕える姿弟子がイエスに仕えるべきなのにイエスが弟子に仕えた 上に立つ人物は多くの人々から仕えられるがその逆A弟子の足を洗う姿は決して格好いい姿ではなかった格好よさを求めるなら洗足など決してできないこと イエスの洗足の姿は身分の低い者の姿 格好よくない 洗足は自分を人よりも徹底的に下にする姿B真のへりくだりは隣人を生かすが自分には損な役回り得をするのは隣人であって、自分ではない 隣人は汗をかかないが、自分は労し汗をかき疲れる しかし賞賛され目立つのは隣人であって自分ではない2.イエスの洗足の姿は自分に死ぬ姿@弟子たちは偉くなって王座の左右に座りたかった「どうだ俺様はすごいだろう!」という自己顕示欲のまま 人よりも自分を上にして自分を高くする=自己中心≠愛Aイエスの姿は自分に死んで自分を人よりも下にする姿本来は人の足を洗うよりも人に足を洗ってもらいたい 自己中心な心(罪)=自分を生かすために隣人を殺す イエスの姿=人を生かすために自分に死ぬ=愛B普通他人の汚い足を洗うのは嫌なこと「嫌られる仕事」嫌な仕事は避けたい好きな仕事をしたい=自分の思い 人から嫌われたくない好かれたい=自分の思い 人から嫌われようが隣人に最善をなすのが真実な愛3.愛は自分に死んで隣人を生かす@本物の信仰は自分に死んでキリストに生きる「自分がやりたいことをするので神様助けて」≠真の信仰 私は心の王座から降ります!イエス様座って下さい! 自分に死ぬ。やりたいことをするのでなく御心を生きるA自分に死なない愛はない自分に何らかの見返りがあるならそれは愛ではない 自分のためにしていることは隣人愛ではない 自分に見返りがなく相手を生かすのが本当の愛B洗足に見返りはなかった12弟子への洗足は力も丁寧さも必要だったはず それだけ仕えて大変な思いをしても見返りはなかった 12弟子ばかりきれいになって自分はきれいにならないむすび.イエスの洗足の姿にならうことが求められている神の力によって私たちも洗足ができるようになる!