1.突然のイエスの洗足にペトロは戸惑い断りあわてた@突然のイエスの洗足に、ペトロは戸惑った「主よあなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」(6) 先生に自分の足を洗わせるなど失礼極まりない 「そんな失礼な事はさせたくない!」→当然そう考えるA突然のイエスの洗足を、ペトロは断った「わたしの足など決して洗わないでください」申し訳ない 「わたしこそがあなたの足を洗うべきです」それが普通B意外なイエスの回答に、ペトロはあわてた「洗わないならわたしと何のかかわりもないことになる」(8) 「えっ!」あわてたペトロ「主よ、足だけでなく手も頭も」(9) イエスとの関係が決して切れないようにという切実な思い2.イエスに足を洗って頂かなければイエスと結ばれない@足を洗うことはイエスの示された比喩だった「既に体を洗った者は全身清いから足だけでよい」(10) いつ体を洗った?実際には洗っていない→比喩的表現 「体や足を洗う」というのは「罪の赦し」を表していたAイエスに罪を赦して頂かなければイエスと結ばれないイエスに罪を赦される→イエスと結ばれる→ぶどうの枝に 全身を洗う=イエスを心に迎え入れる=イエスを主とする 足を洗う=日々の罪をイエスに悔い改めて赦して頂くBイエスを主として心に迎え入れても日々罪を犯してしまう2種の罪 根本的罪=神を拒否,派生的罪=殺,姦,嘘,… イエスを主として受け入れる→根本的罪の解決=救い 派生的罪→赦された後も罪の性質は残存→罪が噴出3.イエスは罪の赦しを与えるために世に来られた@イエスは十字架で死ぬことによって神の愛を示されたイエスの十字架の死こそ全人類の全身を洗う事だった 人は神を拒否した罪を自分自身でどうすることもできない いかに良い事を積み重ねてもだめ→十字架以外にないA人生で最も大切な事はイエスによる赦しを受け取る事イエスに全身と足を洗ってもらう=イエスの愛を受け取る イエスに全身も足も洗わせない=イエスの愛を拒む 洗足を拒む=イエスの愛を退けイエスと無関係に→滅びB洗足はイエスの赦しを真に受け取ったという信仰を示す互いに足を洗い合わなければならない (ヨハ13:14) 隣人の足を洗わない=人の罪を赦さない=救いの拒否むすび.隣人を赦す事はイエスの愛を受け取った証拠イエスの赦しを受け取った事は人を赦すことで表される