1.子どもの親に対する愛=「自分と一緒にいて欲しい」
@そこにお母さんがいるだけで喜ぶ
赤ちゃんの一番の願いは母親がそこにいること
幼児はお母さんがそこに一緒にいるだけでうれしい
乳幼児は母親の「存在自体を喜んでいる」=親への愛
Aお母さんのすることは「子どもと一緒にいること」だけ
子どもの喜ぶ事を何か「してあげよう」とか「与えよう」とか
行動しなくても、そこに存在してあげているだけでよい
Bお母さんの子に対する愛も同じ「そこにいるだけでよい」
子どもが折り紙で作品を作ってくれるのもうれしいが
子どもが笑顔で自分の側に喜んで一緒にいてくれること
その方が何倍もうれしく喜ばしい 【存在を喜んでいる】
2.隣人を愛するというのは、隣人の存在自体を喜ぶこと
@隣人愛=「あなたがここにいることを私は喜びます」
付き合い始めたカップルの場合これは顕著に表れる
一緒にいることが何よりもの喜び=離れているのが辛い
どんなに高価なプレゼントより一緒にいてくれる方が良い
A隣人を愛する「行動」より隣人の「存在自体を喜ぶ」こと
隣人を愛すること=隣人の存在自体を喜んでいること
隣人の「存在を喜ぶこと」なしに「隣人愛」は成立しない
隣人の存在を喜ぶからこそ、愛する行動が生じてくる
B「愛されている」=「私の存在自体が喜ばれている」
神は私の存在を喜んでおられ隣人の存在も喜んでいる
神は私も隣人も同じように愛してその存在を喜んでいる
神が愛されているように私も隣人の存在を心から喜ぶ
3.神を愛するというのは神の存在自体を喜ぶこと
@神の存在を喜び、神と共にいることを願い求め喜ぶ
神は私の存在を喜び「共にいたい」と願っておられる
私の方でそれを無視したり反発したら大いに悲しまれる
A神の存在を喜び神と共にいることを何よりも喜びとする
神のために「何かをする」以前に「共にいること」を喜ぶ
神の存在を喜ぶとその関係が固くゆるぎないものになる
関係がしっかりすると神の御心を行なえるようになる
B教会は神との愛の関係をしっかりと結ぶところ
神の存在を喜ぶことこそ神への愛であり神の私への願い
教会は行事を行う所ではなく神との関係を確かにする所
むすび.神の存在を喜び、隣人の存在を喜んで生きよう
何を喜ぶか?それは神の存在と隣人の存在←愛の土台
まず神の存在自体を心から喜んで生きて行こう!