2025年1月12日  「聖霊による宣教の前進22『役立った黒歴史』」
          使徒言行録 22章1節
1.パウロは以前キリストに反逆するファリサイ派だった
@イエスはファリサイ派を弾劾している (マタ23:13-39)
 熱心に聖書を学び教えるが言うだけで実行しない(3)  すべて人に見せるため(5)高ぶる(7)天国を閉ざす(13)  やもめの家を食い物にし見せかけの長い祈り(14)  地獄の子(15)勝手に律法を追加(16-22)偽善  十分の一は献げても正義,慈悲,誠実はないがしろ(23)  外側:正しく見える⇔内側:強欲,放縦,偽善,不法(25,28)  白く塗った墓:外側=美しい 内側=汚れで満ちている(27)  ファリサイ派=自分の内側の罪がわかっていない  ファリサイ派=正しくないのに自分は正しいと自己義認
Aファリサイ派はイエスを批判し教会を迫害していた
 ファリサイ派はイエスを悪霊の頭とみなした(マタ9:34)  どのようにしてイエスを殺そうかと相談した(マタ12:14)  言い伝えのために、神の掟を破っていた(マタ15:3)
Bパウロはファリサイ派の中のエリートメンバーだった
 イエスが非難したファリサイ派の熱心な一員(フィ3:5-6)  律法の義については非のうちどころのない者  自分は正しいという誤解=罪に気付かない=目に丸太  イエスを信じる方がおかしい律法違反だ!→迫害  聖霊に満ちたステファノを殺害することにも賛成  教会を荒らしまわり信者を投獄 【パウロの黒歴史】
2.パウロにとって迫害した過去は消し去りたかったもの
@今信じて従っているキリストを大いに迫害していた
 「サウルサウルなぜわたしを迫害するのか」(使徒9:4)  イエス・キリストを信じている人たちを大いに迫害  それはすなわちイエス・キリストご自身を迫害する事だった
Aパウロが迫害していたことは教会内に知れ渡っていた
 アナニア「大勢の人から聞きました」(使徒9:13)  パウロが元迫害者だったことはエルサレム教会では誰もが知る事実  パウロの迫害によって家族親族知人が捕らえられ投獄された人々もいたはず
Bパウロ自身も「私は罪人の最たる者」と言っている
 「わたしは、その罪人の中で最たる者です」(1テモ1:15)  なぜ罪人の最たるものなのか?  元々キリストを信じる人々を迫害して苦しめていたという過去を持つから  以前、わたしは神を冒涜する者、迫害する者、暴力を振るう者でした。  しかし、信じていないとき知らずに行ったことなので、憐れみを受けました。  (1テモ1:13)-->「わたしは、その罪人の中で最たる者です」(1テモ1:15)
3.消し去りたかった過去の体験が宣教に役立っている
@宣教対象のファリサイ派の人に対しその考え方を熟知
 ユダヤ人特にファリサイ派に対して共通点を持っていた  「皆さんと同じように」熱心に神に仕えていた(22:3-5)  ファリサイ派の人々や律法学者たちの考え方を熟知  ファリサイ派への伝道において「自分も同じだった」と語れた  イエスはファリサイ派に対して厳しく非難されたが  そのイエスが非難しておられたファリサイ派だったんですよ私も!
Aファリサイ派であったからこそ豊富な聖書知識を習得
 ガマリエルの元で厳しく聖書を学び聖書知識は群を抜く  →律法を深く知りそれを実行しようと人一倍熱心になる  自分を神とするのはとんでもないこと→イエスを誤解した  聖書の律法を知っていたからこそ、イエスが異端者であることを確信し否定した  しかし神の救いの計画は、パウロの聖書理解を越えていた  神が人となられ十字架で罪を負って死なれその後復活したことまでは思いもしなかった  救われたその後は、救い主イエスがまさに自分が学んできた旧約聖書通りに来られ  十字架で死なれよみがえったことを理解し、人々に教えることになった  そこでファリサイ派だった時の聖書知識が大いに活用されることになった
Bファリサイ派でなかったらイエスが救い主とあれ程までに論証することは不可能
 パウロは各手紙の中で、イエスがキリストであることを論証している  さらにはイエスを信じることと、律法の関係性についてもきちんと説明している  律法を熟知していたからこそ旧約聖書を熟知していたからこそできたこと  ファリサイ派時代に蓄積した、旧約聖書の知識を見事に活用しているのである  黒歴史ではあったが、そこにいた時の経験が宣教のためには大いに役に立つことになっている  過去の黒歴史を悔むことも、隠そうとすることも必要なかった  主がすべてをゆるし、そのことをも益と変えて下さっていたのである
むすび.自分の暗黒の過去が宣教に役立つことになった
 ファリサイ派にいたことはパウロにとっては、イエスを迫害することにつながり、  大きな過ちを犯す結果になってしまっていたことは、確かな事である。  しかし、ファリサイ派にいたからこそ、同じファリサイ派の人々の気持ちを理解することができ  宣教するには共通点が多くあって、普通の人よりも説得力があった。  さらにファリサイ派にいた事によって多くの聖書知識を得ていたので  聖書理解を深めることができており、後の宣教において、大きく役立ったのである。  パウロは、イエスがこれでもかというばかり非難されたファリサイ派に属していたのだが、  そこから救われることによって、そのファリサイ派にいたという黒歴史、  そしてキリストを信じる者を迫害しまくっていたという、自分の黒歴史すら  益と変えて下さる神の導きの素晴らしさを体験することになったのである。   黒歴史があるからと言って、消し去りたいとばかり思うのではなく  神がそれすらも益と変えて下さることを信じ、感謝していよう!