2024年12月29日  「人と同じ姿にまで低くなられたイエス・キリスト」
          フィリピの信徒への手紙 2章6〜8節
1.神の子イエスは元々は全知全能の神であられた
@イエスは元々神の身分であられた (フィ2:6)
 全知全能、遍在、創造主、永遠、不死、最大の力と権威  を持ち,人を正しく裁き,すべての人の命は手中にあった
Aイエスは創造主:被造物はイエスによって造られた
 言は神であった。万物は言によって成った(ヨハ1:1-3)  万物は御子によって御子のために造られた(コロ1:16-17)  神は御子によって世界を創造された (ヘブ1:2)
Bイエスは永遠:イエスははじめであり終わりであるお方
 「わたしはアルファであり、オメガである。」(黙示1:8)  「最初の者にして最後の者。初めであり終わり」(22:13)  イエスは時間を超越 千年も一時 (詩90:4,2ペト3:8)
2.イエスは神の姿を捨てて完全に人と同じになられた
@イエスは神の姿を完全に捨てておられた
 神の姿を捨て自分を無にし僕の身分になり人間と同じに  五感だけ、筋力のみ、同時に一か所、被造物、死、弱い  母の胎から誕生→幼児→少年→青年→大人へと成長
Aイエスは弱い人間と何ら変わらない同じ姿になられた
 乳幼児の時は両親の助けなくして生きられなかった  ヘロデ王の手を逃れてエジプトへ避難した(マタ2:13-15)  普通の人間として生まれ成長していった(ルカ2:50-52)
B罪はなかったが人間の弱さをすべて持っておられた
 空腹(マタ21:18)睡眠(マタ8:24)疲労(ヨ4:6)労働(マル6:3)  神との交わりは祈らなければできなくなった(マル1:35)  捕らえられ→ピラトの不当な裁き→十字架で死なれた
3.イエスは人を愛するがゆえにどん底まで低くなられた
@とにかくすべての人を救いたいという限りなく大きな愛
 人の身代わりとして死ぬためにすすんで人となられた  人が救われるためなら神の姿を捨ててもかまわない!  十字架の上で痛み苦しんで命を捨ててもかまわない!
A癒しや悪霊追い出しは普通の人ではなかった証拠?
 悪霊を追い出す権威や癒しの力は神が与えていただけ  人でも信じればできる(ルカ10:17)イエスは完全に人の姿
B完全な人となられ本来的な人間の生き方を示された
 洗礼(3:21)聖霊受霊(3:22)誘惑に御言葉で勝つ(4:4-12)  悪霊を追い出す,癒す,神の権威と力の行使(4:36,5:17)  友のため命を捨てる愛(ヨハ15:13)←十字架で示した
むすび.イエスのように自分を低くして人を愛する(フィ2:3)
 最も小さい者こそ最も偉い(ルカ9:48)仕える者に(22:26)