2024年12月15日  「聖霊による宣教の前進21『仲間の反対にあっても御心を行って宣教前進』」
          使徒言行録 21章13節
1.パウロは決死の覚悟で神に従おうとしていた
@パウロは聖霊に促されてエルサレムに行こうとしていた
 五旬祭にはエルサレムに着いていたかった(20:16)  聖霊はパウロをエルサレムへと導いておられた (20:22)
Aティルスで止められカイサリアでアガボが捕縛を預言
 ティルスではエルサレムに行かないよう繰り返し言われ  カイサリアではフィリポの家に預言者アガボがやってきて  パウロが捕縛され異邦人に渡されると預言(21:10-11)
Bしかしパウロはエルサレムに決死の覚悟で行こうとした
 主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られること  ばかりか死ぬことさえも、わたしは覚悟している (21:13)
2.パウロの仲間たちは神に従うパウロを止めようとした
@人々はパウロにエルサレムには行かないように頼んだ
 同労者たちはカイサリアの人々と一緒になってエルサレ  ムへ上らないようにとパウロにしきりに頼んだ (21:12)  パウロを苦難から守りたいというパウロへの愛!隣人愛?
A神はパウロをエルサレムからローマに送りたかった
 だが神の御心は、パウロをローマで宣教させることだった  そのために、パウロはエルサレムで捕らえられる必要があった  エルサレムで捕らえさせ、ローマへ護送というのが神の計画だった
B人々のパウロを気遣う行動は実は神の御心の逆だった
 この時パウロは命がけで神の計画を行なおうとしていた  人々はパウロを案じ投獄させまいと守ろうとしたのだが  それは神の計画を止めることで真の隣人愛ではなかった
3.パウロは同労者の反対の声に負けず神に従い抜いた
@キリストを信じていた人々がパウロの反対者になった
 パウロ:神の導きの通り私はこれからエルサレムに上る  同労者:だめだ!パウロが投獄されてはならない!  →パウロの身を案じる余り神の計画に歯向かう反対者に
Aもしパウロが助かっていたら大勢の人々が滅びていた
 エルサレムに行かなければ投獄されずに済んだ=安全  パウロは助かってもローマにいる大勢は永遠に滅びた  パウロが投獄されてもローマにいる大勢が救われれば…
B多くの人が救われるために自分が犠牲になる=真の愛
 一粒の種は地に落ち死ななければ結実しない(ヨ12:24)  「そんなことがあってはなりません」←大間違い(マ16:22)  イエスの身を気遣ってくれているようで実は御心の真逆  イエスは十字架で死ななければならなかった  ペトロの言葉は神の御心を止めるような言葉だった  イエスはペトロの言葉が悪魔から出ていることを指摘された  パウロも神のためにエルサレムで捕らえられることを覚悟していた  それこそが神の御心だったから  人々がパウロを止めたのは御心の逆だった
むすび.隣人愛のようであっても御心の逆なら退けて進む
 パウロは御心に従い通すために、親しい人々の反対の声を退けた  親しい人の言葉であっても、神の導きと逆の場合がある  人の声の方が常識的で、優しくて気遣いがあってもっともらしく聞こえる  しかし神の導きはある場合、厳しい苦難が伴っている  苦難を恐れずにパウロは神の導きに従った  人の声ではなく神の言葉にこそ忠実であるべき  たとえ周囲が反対したとしても、それが神の導きであるならば  その神の導きにこそ身を委ねて行こう  たとえ自分一人になったとしても、パウロのように神の声に従っていこう!