1.パウロは聖霊に固く結ばれて命がけで宣教していた
@パウロは聖霊に固く縛られつながれていた
私は聖霊に「促されて」エルサレムに行く (20:22)
原語デデメノス:縛られ結ばれた状態で=夫と妻の関係
「私は聖霊が導かれるまま導きに従ってどこにでも行く」
Aパウロは聖霊の声をどこででもしっかりと聞いていた
投獄と苦難とが待ち受けているということだけは聖霊が
「どこの町でも」はっきり告げて下さっています(20:23)
パウロは聖霊から将来の投獄を繰り返し聞かされていた
Bパウロは聖霊の導きに逆らわず命をかけて従い抜いた
投獄と苦難が待ち受けていてもそれでも行く決断と行動
どんな苦難の中でも神の与えた使命を忠実に果たす
心を尽くし神を愛する=神のためなら命をかける(20:24)
2.福音宣教は命がけの覚悟と行動によって進んだ
@ステファノは殉教も辞さなかった (使徒7:57-60)
人々はステファノに一斉に襲いかかり都の外で投石
「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」→殉教
Aペトロも繰り返し投獄されてもやめなかった(4:1-4)
祭司たち神殿守衛長サドカイ派の人々に捕縛され牢に
ヘロデ王はヤコブを剣で殺しペトロを捕らえ牢に(12:1-4)
ヤコブが殉教しても逃げなかった。捕らえられるまま
Bパウロも神の与えた使命のために最後まで命をかけた
投獄,鞭打ち,死ぬ目に遭ったことも度々(2コリ11:23)
投石(1回),難船(3回)一昼夜海上に漂ったことも(11:25)
神の計画をすべて伝えた(使20:27)半端でなく最後まで
3.福音宣教は最も命を懸ける価値がある働きで私の使命
@宣教すれば、従順に御言葉に聞き従う人々は救われる
人が救われることこそ天における最大の喜び(ルカ15:7)
人が救われるための働きこそ宣教の働き→私達の使命
宣教のため神は人を用いる→人を通して人が救われる
A宣教すれば当然反対する者も起こり迫害も受ける
反対は必ず起こる→迫害を受ける→天の報いが増加
的を射れば射るほど迫害は激しくなり究極は殉教に至る
B恐れずに命を懸けるか?恐れてタラントを埋めるか?
私達にとって宣教は最も命を懸ける価値がある働き
宣教すればするほど迫害は激しくなる→命がけになる
むすび.聖霊に固く結ばれて命がけで宣教していこう
天に行ってからでは宣教はできない。地上にいる時だけ
人生を力を尽くして神を愛し命を懸けて宣教に生きよう!