1.救いに割礼は不要なはずなのにテモテに割礼を施す
@パウロはテモテを伝道旅行に同行させたかった
第二回伝道旅行でパウロたちはテモテに出会った
「リストラとイコニオンの兄弟の間で評判の良い人物」
伝道旅行の担い手として適任だ→一緒に連れて行こう
A問題:テモテは割礼を受けていなかった(父:ギリシア人)
パウロたちはユダヤ人の会堂で福音を語っていた
ユダヤ人の外国人との交際=律法違反 (使徒10:28)
割礼を重んじるユダヤ人はテモテが無割礼だと敬遠する
Bテモテを宣教旅行に同行させるため割礼を施すことに
異邦人だけでなくもちろんユダヤ人も宣教の対象だった
無割礼ゆえにテモテは彼らから拒絶される可能性あり
→割礼を受けていれば回避可能→テモテにも割礼施す
2.パウロは宣教のために本来しなくても良いことをした
@ユダヤ人の救いのためユダヤ人のようになる(1コリ9:20)
異邦人宣教にとって割礼の有無は何の影響もなかった
しかしユダヤ人にとって割礼の有無は大問題だった
無割礼であることが宣教の妨げとなってしまっていた
A最も重要なことは人々がイエスを信じて救われること
異邦人世界への宣教ではあったが在住ユダヤ人も対象
異邦人世界のユダヤ人の救いのためあえて割礼をした
Bテモテはパウロたちを助け宣教が大きく前進していった
方々の町を巡回→エルサレム会議の決定事項を伝えた
教会は信仰を強められた→日ごとに人数が増加(16:1-5)
テモテが大いに助け手として用いられていた事がわかる
3.パウロは宣教のためならどんなことでもするという姿勢
@たとえ誤解を招こうとも宣教のためならテモテに割礼を
律法は不要だと主張していたのにおかしいじゃないか!
言行不一致だ!人には割礼不要と言っておきながら…
割礼がないとユダヤ人伝道が難しくなるからあえて実施
Aイエスも誤解され非難されても罪人の友となって宣教
マタイ家:「罪人と一緒に食事をするのか」(マタ9:9-11)
ザアカイ:「罪深い男の所に行って宿をとった」(ルカ19:7)
香油を注いだ女:「罪深い女だとわからないのか」(7:39)
B「福音のためなら私はどんなことでもします」(1コリ9:23)
パウロの同族への熱い思い=キリストから離され神から
見捨てられた者となってもよいとさえ思っている(ロマ9:3)
むすび.テモテの割礼はパウロの同族への愛に起因した
人が救われるためなら誤解され非難されても構わない!