2024年10月6日  「聖霊による宣教の前進J『異邦人の救いを教会全体が認識して宣教前進』」
          使徒言行録 11章18節
1.用いられたペトロはエルサレム教会から非難された
@教会にもコルネリウス家の素晴らしい出来事が伝わった
 使徒たちとユダヤにいる兄弟たちは異邦人も神の言葉  を受け入れたこと(素晴らしい神の働き)を耳にした(11:1)  本来この知らせは、素晴らしい喜びの知らせだったはず  異邦人が多数救われ天には大きな喜び!  一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある。(ルカ15:10)  コルネリウスの家では一人ではなく、多くの異邦人が救われたのだから、  天における喜びは、どれ程だったことか!
Aだがエルサレムのユダヤ人信徒達はペトロを非難した
 ペトロは多くの異邦人の救いために、神に大いに用いられたのだが  教会は異邦人が大勢救われた事を喜ぶどころか、ペトロを非難した!  「割礼のない者達の所で食事をした」とペトロを非難している  「神の掟に背いた行動をした」というのである
B当時の教会は律法に従い異邦人を拒絶し続けていた
 協定を結ぶな,縁組するな,偶像を滅ぼせ(申7:1-5)  →約束の地に入ったら、そこの民は滅ぼさねばならなかった  空しい偶像に頼る者を憎み主に信頼します(詩31:7)  →異邦人は虚しい偶像に頼っているから憎むべき存在  ソロモンの堕落は、異邦人の妻を大勢迎えていたことによった  →異邦人とは結婚してはならない  捕囚←偶像崇拝(列下18:12)
2.イエス・キリストは律法の終わりとなられた (エフェ2:15)
@キリストは律法の終わりとなられた (ロマ10:4)口語訳
 動物の犠牲の血→イエスの十字架の血,小羊→イエス  神殿・幕屋→イエスの体,大祭司→イエス,初穂→復活  過越祭→イエスの十字架,五旬節→イエスから聖霊降臨
A血筋によらない信仰による人こそアブラハムの子孫
 信仰によって生きる人々こそアブラハムの子(ガラ3:7)  神に選ばれた民=ユダヤ人→イエスを信じる人全員  異邦人もユダヤ人も同じになった (エフェ2:11-16)
B様々な律法の規定は終わった←例)自動車仮免許証
 イエスは律法を廃棄(無用に)←免許合格後仮免廃棄  律法の廃止ではなく律法の本質が完成(マタ5:17-20)  例)免許取得→仮免許証廃棄→自由に運転可能になる
3.ペトロの件で教会全体に異邦人の救いが認知された
@ペトロは一部始終を順序正しく教会の皆に説明した
 端折らず誇張せず体験した事実を順序正しく説明した  幻と主の命令の言葉→3人の訪問→コルネリウスの家→  彼が天使の言葉を説明→ペトロ説教→聖霊降臨(4-15)
Aペトロは自分がどう理解して行動したかを説明
  『あなたがたは聖霊によって洗礼を受ける』を思い出し  私達と同じ聖霊の賜物を神は彼らにも与えられたのだ  私ごときが神のみわざを妨げることなどできない(16-17)
B教会全体が異邦人も救われると理解し認識し神を賛美
 聞いた人々は静まり「異邦人も救われる」と神を賛美(18)
むすび.正しかったペトロvs間違っていた教会の大多数
 多数の意見に流されることなく、ペトロのように神の御心を認識して  果敢に、神の御心を実行する必要がある  教会が多数決で決めていたら、神の御心をつぶしていた所だった  多数決で決めていたら、天においてなされている神の御心が  地においては、なされていなかったところだったのである  御心は天においてなされるように、地においてもなされなければならない  教会は多数決ではなく、神の御心を知ってそれを行なうところ  神の御心を行なうことによって前進するのが教会!  時には、教会の大半が間違いに陥ってしまうこともある  神の御心を知るために、聖書をしっかりと読みながら  聖書の中で示された自分の罪を、祈りの中でしっかりと悔い改め  あらゆる罪から離れ去り、神の御心が何であるか神に聴いて行く  そのような信仰姿勢が、何としても必要なのである