1.聖霊を受けたからこそ使徒たちは力を受け取った
@聖霊を受ける前の使徒たちはまさに肉に生きていた
肉の業=姦淫,敵意,争い,怒り,利己心,…(ガラ5:19-21)
ヤコブとヨハネ:怒り,ペトロ:保身,トマス:自分が正しい
弟子達:誰が一番偉いかと議論=自己中心,人より上に
A聖霊によらなければ使徒達も肉の欲望に勝てなかった
肉の欲望は自己中心⇔宣教の土台は魂に対する愛
肉の思いに打ち勝たなければ罪に陥り宣教は不可能
使徒達は聖霊に満たされたからこそ肉の思いを克服
B聖霊は肉に打ち勝たせ本来の使命を果たす力を付与
聖霊の望む事は肉に反する。肉と霊が対立(ガラ5:17)
聖霊は力強い→聖霊が働くと肉の思いに打ち勝てる
霊の導きに従う→決して肉の欲に負けない(ガラ5:16)
2.聖霊が力を与えるのだから元々弱くても大丈夫
@魂を愛する愛も宣教する力も聖霊が与えて下さった
聖霊の結ばせる実は「愛」…「節制」 (ガラ5:22,23)
元々使徒たちには、魂への愛や宣教する力はなかった
ただ聖霊が降って魂への愛や宣教する力が与えられた
A使徒たちが元々弱くても足りなくても全く問題なかった
怒りやすくても自己中心でも問題なし→聖霊が解決
聖霊が使徒達に肉に打ち勝つ力を与え愛を与えられた
自分の力ではなかったので自分の弱さは一切無関係
B肝心なのは聖霊を求めてゆだねてその導きに従うこと
宣教は聖霊が使徒たちを通して働かれ前進していった
力の源は聖霊にあった。使徒たちは管に過ぎなかった
3.使徒たちは聖霊を求めて祈った結果聖霊を受けた
@聖霊を受ける前の使徒たちは熱心に祈っていた
「聖霊を受けなければ熱心に祈れません」ではなかった
神の約束を信じて待ち望み祈る事は誰にでもできる
使徒達は聖霊を求めて祈る事を選んだ→良い方を選択
A聖霊が降り弱かった使徒たちに力を与えて用いた
聖霊は使徒たちに力を与えて愛の人宣教の人とした
ペトロ(使4:18-21) サマリヤのヨハネ (使8:14-17)
B聖霊が使徒達の肉の思いを駆逐し霊的人物にした
聖霊によらなければ肉の思いに勝つことはできなかった
聖霊によって体の仕業を絶つ→生きる(ロマ8:13)
むすび.私たちがすることは力を与える聖霊を求めること
私が聖霊を求め聖霊に従う事を選ぶと聖霊が働かれる
聖霊に喜ばれる方を選ぶ決断をするのは私の責任
神は私たちの決断を待っておられ決断を尊重される 聖霊に満たされることを求めるなら聖霊を降される