1.なぜ鍛錬があるのか?
@神の神聖にあずからせるため (ヘブ12:10)
私たちは元々神聖でも何でもなく→罪に汚れた者
十字架で罪が赦される→罪の性質は残存→脱出の必要
鍛錬は罪と欲の支配から脱出させる→神聖へ導く
Aすべての人には元々罪の性質がある(例外はない)
ヤロブアムは偶像崇拝(1列12:28) 貪欲も偶像 (コロ3:5)
カインは殺人(創4:8),ボアネルゲ(ルカ9:54) 怒りと殺意
ダビデは姦淫(サ下11:4),サムソン,ソロモンも女性で失敗
ピラトは保身(マタ27:24)ペトロも(26:69-74)悪を選択 etc.
B神は愛する者を鍛え子とした者を鞭打たれる(12:6)
神は私達を愛しておられる→罪から離れさせる
そのために鍛錬を与える→私達の益になる(ヘブ12:10)
2.どうやって鍛錬を耐え忍ぶのか?
@苦難や困難を神からの訓練と受け止める(ヘブ12:3)
苦難の意味がわからない→気力を失わせ疲れ果てる
苦難は神の愛のゆえ→気力が保たれ疲れ果てない
A十字架の苦難を受けられたイエスの忍耐を考える
イエスの十字架の姿を考える 激痛,神に見捨てられる
死に至るまで耐え忍ばれ全人類の贖いを完成された
キリストは私の苦しみと比べられない苦難を受けられた
B鍛錬を受ける事こそ神の子とされている証拠と感謝する
神は愛する者を鍛え子として受け入れる者鞭打たれる
鍛錬を受けていないとすればそれこそ庶子=未信者
苦しみに会う時これこそ神の子とされた証拠だと感謝
3.主の鍛錬を軽んじてはいけない!人生の宝にする
@主から懲らしめられても力を落とさない「これは宝だ!」
鍛錬という苦難の中で力を落とさないこと (12:5)
私にとって益であり罪から離れ聖くされ実を結ぶ(12:11)
これこそ神の愛の証拠であって人生の宝だ!
A鍛錬によってどんな罪が絡みついているか気付く
戦って抵抗しなければならない絡みつく罪に気付く
カイン:傲慢,自己中心,人を怒りその存在を否定
ヤロブアム:偶像崇拝 金を神以上に求める貪欲も同じ
B鍛錬は当座は悲しいが義という平和に満ちた実を結ぶ
鍛錬によって鍛え上げられる!最後は必ず実を結ぶ!
むすび.主は愛する者を鍛錬によって鍛え聖くし結実へ
神の子とされたら必ず鍛錬を受ける。それこそ人生の宝
鍛錬の時キリストを見上げ罪から離れ聖くされ実を結ぼう