1.この世はどういう世界か? 神を無視し富を求めて争う@罪をもって生まれた人間が罪のままで生きている世界罪の根本は神を神としない事→偶像を神としてしまう 罪をそのままにし神を否定し偶像を拝んで幸福を願う 神を無視して神に従わず自己中心に生きる罪の世界A日毎の糧を与えて下さる神を無視し糧だけを求める糧(経済・金・富)の追求 富を求め富に仕える(マタ6:24) 神を求めれば沿えて与えられるのに求めず得られない 熱望するが手に入れられない→争い戦う (ヤコ4:2)B十字架による赦しを知らず互いに赦し合えない≠平和互いに敵対して人を憎み争い自分だけの利益を求め 権力者の顔色を伺いつつ権力の座を狙う ⇔ 神の愛2.旧約の預言者達はこの世にならわずに迫害を受けた@世に倣い顔色を伺っていたら預言などできなかった神の人の言葉はヤロブアム王を怒らせた (列上13:1-4) エレミヤが預言したら水溜に投げ込まれた(エレ38:1-6) 王や人々の顔色を伺っていたら預言などできなかったA神の言葉はこの世のあり方と真逆だったこの世は罪によって悪に染まり切っている ⇔ 神の御心 旧約の王たちと民はしばしば悪の中に落ち込んだB預言者は世の悪に真っ向から切り込む言葉を語ったエリヤ「バアルに従うあなたこそ〜」(列王上18:18)3.福音宣教もこの世にならって妥協していたらできない@その人のようになることは顔色を伺うことではない「ユダヤ人にはユダヤ人のように」≠顔色を伺うこと その人の悪を容認し自分も悪に染まる事ではない その人自身を受け入れてもその悪は受け入れないA悪は悪として指摘し容認せず悔い改めるよう告げるイエスは弟子達の悪も容認せず戒めた(ルカ9:55) パウロは偶像は神でないと明言した (使徒17:29-30)B使徒達も人々の顔色を伺わず恐れず大胆に語ったペトロとヨハネは議員たちの前で堂々と(使徒4:19-20) ステファノは最高法院でも恐れず語った(使徒7:52-54) パウロはアグリッパ王の前で語った (使徒26:1-30)むすび.人の反応に囚われずに福音を語る事が大切使徒達が顔色を伺わず明確に福音を伝えたからこそ 正しく福音が伝えられその福音が現代まで伝わった 私達も人の顔色を伺わずはっきりと福音を語っていく 神は悪の世の人々を愛するが世の悪には妥協しない