1.この世は強さが賞賛され強さが求められる社会
@社会では強い者やできる者たちが賞賛されている
スポーツ,学業,競技,企業...強い者が注目を集める
強い=厳しい練習と努力の成果→賞賛に値する
A社会では強さが求められ弱者は切り捨てられている
プロスポーツ:弱者は戦力外通知→能力不足と認識
弱い=使えない→いらない→邪魔→見捨てられる
B弱い人々は地位も名誉も力もなく経済的にも苦しむ
使徒時代のやもめも配給を必要としていた (使6:1)
同様に障がい者は物乞いをして施しで生活 (使3:2)
2.神は強い人だけでなく弱い人をも救おうとしている
@この世のような「強者優遇・弱者切捨て」ではない
神の願い=強者も弱者も全員救われる事 (1テモ2:4)
パウロは弱い人を救うために弱い人のようになった
パウロの視点は神の視点、この世の視点とは違った
A弱い人のようになるために必要なことは何か?
a) 「俺は弱くなんかないぞ!」という高ぶりを捨てる
b) 自分の「弱さを恥じない」で弱さを人前に表わす
c) 「自分を低くし人を高く」する=謙遜→自分に死ぬ
B強い方なのに弱くなって下さったキリストこそが模範
キリストは全能の神なのに弱い人間の姿になられた
自分を無にして僕の身分になられた (フィ2:6-8)
人の弱さに同情し人の会う試練にあった (ヘブ4:15)
3.聖霊は「弱い人のようになる事ができる力」を与える
@強く見える人も実際は弱い→自分を低くできない
強く見えるが罪があるため本当は弱い→そこを隠す
弱さを隠さずにはおれない→虚栄心から抜け出せず
イエスを知らないと言ったペトロも強いと誤解していた
A弱い人のようになるためには強い内面の力が必要
a) 「俺は弱くなんかないぞ!」という高ぶりを捨てる力
b) 「弱さを恥じない」で人前で弱さを表わす力
c) 「自分を低くし人を高くする」謙遜で自分に死ぬ力
B聖霊の力によって強められて弱い人のようになれる
あなたがたの上に聖霊が降ると力を受ける (使1:8)
「神が強くして下さる」(1テモ1:12) 力の霊 (2テモ1:7)
むすび.弱い人のようになって弱い人々も救いだそう
聖霊の力で強められ自分に死に弱い者のようになり
弱さに苦しんでいる多くの人々を愛して救いへ導こう