1.当時のユダヤ人の特徴は聖書を知っていたこと
@イエス時代のユダヤ人は旧約聖書に基づいた生活
律法を学び律法を生活に適用して生活していた
聖書で定められた大祭司、祭司がいて祭儀を執行
過越祭や仮庵祭(ヨハ7:2)はじめ聖書の祭りの実施
A日常的に聖書の言葉や聖書理解が用いられていた
律法学者「メシアはベツレヘムで生まれる」(マタ2:4-5)
ナタナエル「メシアはナザレから出ない」 (ヨハ1:46)
マルタ「終わりの日の復活の時に復活」 (ヨハ11:24)
B異邦人との違いはまさにこの点にあった
真の神がどんなお方であるかを知っていた
神に逆らうと何が起きるのかも知っていた→例:捕囚
だから神に従おうとしていた→ファリサイ派・律法学者
2.使徒たちはユダヤ人には聖書を引用して語った
@ユダヤ人に対してペトロは聖書を引用して語った
ペンテコステの時にヨエルとダビデを引用 (使徒2)
美しい門の男の時はモーセやアブラハム引用 (使3)
Aステファノは殉教直前に聖書を引用して語った
ステファノは旧約聖書の流れを語っている (使7:2-53)
祖先は預言者たちを殺しあなた方はキリストを殺した
Bパウロもアンティオキアで聖書を引用して語った
ピシディア州のアンティオキアは異邦人の地だが
そこの会堂でユダヤ人に対して語った (使13:14-41)
ダビデの子孫からイエスが送られたと説明(使13:23)
3.律法主義に陥っているユダヤ人と同じ位置で語った
@ユダヤ人は律法主義:律法を尊重し厳守する姿勢
律法をきちんと守らないと神の裁き→律法を守らねば
→ 「自力で律法を守ることができる」という勘違い
A律法を守れない人を蔑む 罪人扱いして見下す
自分は正しく律法が守れていると誤解=自己義認
自分の根源的罪に気づいておらずゆるしを知らない
恵みによって救われるということがわかっていない
Bパウロは間違っていた人々を蔑むことなく同化した
私もかつては皆と同じ間違いの中にいた (使22:3-5)
むすび.私たちもその人と同じ位置に立って宣教する
「私は正しい!あなたは間違っている!」=高ぶり
福音を伝えたい→まずありのままの姿を受け入れる
私も同じ初めは知らなかった。でもわかったんです!