2024年1月14日  「収穫のための働き手が必要」
          マタイによる福音書 9章36〜38節
1.「収穫は多い」と認めて自分の意識を大きく変える
@私達の誤解「全然収穫できない」:迷子の羊達は強いから救い主を求めようとしていない
 私達の誤解=「収穫は少ない」=「全然収穫できない」  過去の実績:::「今までずっと収穫は少なかった」と経験値で判断  現状を分析:::「救われる人はこの程度」とあきらめている  未来を推測:::「それ程大きく変わることはないだろう」希望なし  私たちの考え=「収穫は、今までもそしてこれからも少ないまま。増えるはずがない」
A神の視点「収穫は多い」:迷子の羊達は弱り果てて救い主を求めている
 神の言葉=「収穫は多い」  神の視点1:::過去の実績や現在の収穫状況とは関係のない視点  神の視点2:::収穫を待っている人々をしっかり見て把握している  神の視点3:::人には認識できていない実りを神は見ておられる  私たちの考えとは、全く違う  常識的な判断や科学的な判断とは、一線を画している  神の思いと計画は、常識や科学を超えている
B神の願い「多くの収穫」:すべての迷子の羊達を救わなければならない
 神の願いはすべての人の救い。ひとりも滅んではならない!  「神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを   望んでおられます。 (1テモ2:4)」← 全員の救いが神の願い  私たちの思い「あの人は救われないだろう」「あの人は無理だ」  神の願いはまったく違う「あの人も救われなければならない」  「あの人が救われることも、可能だ」  イエスの時代、誰が徴税人ザアカイが救われると思っただろうか?  イエスの時代、誰が遊女が救われると思っただろうか?  イエスの時代、誰が悪霊集団レギオンに憑かれた男が救われると思っただろうか?  イエスの時代、誰がサマリアの女が救われると思っただろうか?  使徒時代、誰が大迫害者サウロが救われると思っただろうか?  彼らは全員、イエス・キリストによって救われている
2.「働き手が圧倒的に少ない」という危機感を持つ
@私たちの誤解「収穫が少ないから働き手は充分」
 私達の誤解=「収穫は少ない」→「働き人は充分存在している」  収穫が少ないと誤解 → 働き手不足を認識できず  収穫が見えていれば、必要人数を的確に判断できるはず  収穫が見えない → 少ないと誤認 → 必要数を過少に判断してしまう  収穫が多い時に対応ができない → 大収穫の時に収穫できずに終わってしまうことに
A神のみ旨「多くの収穫のために働き人が必要」
 神は霊的救助を待つ全員が見えている → 実に多い  多くの救援隊が必要。救われるためにもっと大勢必要  人間ひとりのできる範囲には、限界がある
B神の願い「多くの働き人が起こされること」
 「まだまだ足りない!もっともっと必要!」というのが神の思い  そこには、非常な緊迫感と危機感がある「働き人が少ないんだ!」  危機感に乏しい働き人達の目を覚ましたい、神と同じ思いになってほしい  そもそも「収穫は多くない、少ないんだ」という認識が問題  「これからもこの程度だ」という、過去の経験で判断していることが問題  神の視点で見る必要がある。そして現在の状況を的確に、見極める必要がある
3.働き手を送ってくださるように主に願う
@自分たちだけでは手に負えないと認識する事
 牧師だけに、働きを任せておけばよいというのではない。  自分たちも、収穫の担い手として働かなければ追いつかないと認識する必要がある  さらに、「現在の全信徒でもまだまだ不足している」という認識も必要  「収穫は多い」とのキリストの言葉を真剣に受け止める事  「牧師や他の誰かがやってくれるだろう」という非当事者意識を捨て去ること  「多いかもしれないが、自分たちだけで充分できる」という、過信と傲慢さも捨て去ること  「本当に多いから、自分たちだけではできない」という認識と、謙虚さと危機感を持つこと  そして「収穫のために働き手を送ってください」と、真剣に収穫の主に願うこと
A共に働く多くの働き人が必要という認識に変える
 新たに救われた人々が新たな働き人になってゆく  パウロの伝道旅行は、各地に救われる人々を起こし  各地に、教会を建てあげてゆく働きだった  その働きは、パウロの伝道によって救われた人々によって継承され  パウロの働きは、新たに救われた人々によって支えられてもいた  決して、パウロたち一行だけの働きではなかったはず  フィリピでは、ティアティラ市出身の紫布を商うリディアという婦人が洗礼を受けたが  その後パウロたちを自宅に宿泊させ、パウロたちの働きを支えている(使16:15)  彼女がその後のフィリピの教会の働きを担っていったのは、間違いないだろう。  フィリピの教会は、パウロの宣教に対して大きな経済的援助をしている  神は、働き人が単独ではなく「多くの人達と協力して働く」ように導かれる (ロマ16:1-23)  パウロも、単独行動の時は働きに限界があった (使徒18:5)
B働き手を送ってくださるように主に願い求める
 迷子の羊達の状況は、多種多様多岐にわたっている  言葉も文化もまったく違う所で生活をしている  パウロはギリシア語ができたので、ギリシア語圏で宣教ができた  それぞれの分野で、賜物を持っている働き手が必要  ギリシア語圏には、ギリシア語のできる人材が必要だった  世界宣教というのは、異なる分野・領域・年代での異なる救霊の働きになる
むすび.多くの収穫があると認め働き人を求めよう!
 過去や現状で判断せず多くの収穫がある事を認めて  自分自身が働き人となると同時に、更に多くの働き人を求めていこう  収穫は多いのだ  けれども、圧倒的に働き人が少ない  霊的救援を待っている人々は、あまりにも多い  霊的救援隊をさらに充実させて、魂を救う働きにいよいよ励んで行こう!