1.この地上は本来的姿を失って酷い状態になっている@今の私たちが住んでいる天地が永続するのではない創世記1章で記されている最初の天地はやがてなくなる 天地は滅びるがイエスの言葉は滅びない(マタ24:35) なぜ滅びなければならないのか?神が極めて良く造られたのではなかったか?A当初神が創られた被造物はすべて良かった神はお造りになったすべてのものを御覧になった 見よ、それは極めて良かった (創世1:31) エデンで裸で生活=年中快適な温度 雪はない 確かに創造の当初は、被造物は極めて良い状態だった それは今の状態とはまるで違う、理想的な状態だったB天地は人の罪のため惨憺たる状態に変わり果てた悪魔の誘惑によって人は罪を犯し、それ以降この世はおかしくなっていった 人の罪故に、土は呪われ人は生涯食べ物を得ようと苦しむことになった(創3:17) 今の土地は呪いを受けている→誰もが額に汗して働かなければ生きられなくなった さらにノアの洪水でこの地の環境は激変し、それ以降人々の寿命はどんどん縮んだ 当初は存在していなかったであろう夏の厳しい暑さ、冬の厳しい寒さが現れた 強風、豪雨、嵐、台風、干ばつ、大雪、火山の噴火、など、破壊的な現象も そして現在に至るまで、人々の罪のゆえ環境は破壊され汚染され続けてきた 自然環境も、川も、海も、水も、空気も、汚染され続けてきた2.この世界は狼の群れのような世界で悪の支配下に@イエスは狼の中に羊を送ると言われている単に自然環境だけでなく、そこに住んでいる人々が悪の中に陥ってしまった ノアの洪水の時は、ノアの家族以外を滅ぼさなければならない程の凄まじく酷い状況だった アブラハムの時代のソドムとゴモラも、酷く腐敗した状態だった モーセの時代のカナン地方に住んでいた人々の間にあった堕落も、酷かった 偶像崇拝によって子どもを殺してささげたり、獣姦も含む性的な堕落の中にいた (レビ20) 神の民イスラエルにもその堕落は波及し、捕囚になる前は甚だしい悪に染まっていた イエスの時代も、イスラエルの地域の町や村に対してイエスは そこは狼の群れだと、たとえている 「行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。それは、 狼の群れに小羊を送り込むようなものだ。」 (ルカ10:3) この世は、「狼の群れの様な世界である」とたとえられるほど「荒んでいる」のであるA信仰の先輩たちは地上生涯を苦しみで終えているアベルからはじまる神に従った信仰者たちは、この地上において苦難の連続だった 彼らは荒れ野、山、岩穴、地の割れ目をさまよい歩いた 世は彼らにふさわしくなかった (ヘブ11:38) と言われている 信仰者にとって、この世というのは理想的な世界でないばかりか ふさわしくない世界なのである 信仰者はこの世では安住ではなく、戦いの連続になる それは狼の中にいる、羊の様な状態なのである 狼の中にいる羊たちにとって、毎日が狼との戦いの連続なのであるB世の中は悪魔によって支配されている悪の世イエスは「世の行っている業は悪い」と言われた (ヨハ7:7) この世を支配する空中に勢力を持つ者、不従順な者たちの内に今も働く霊が、 この世を支配している (エフェ2:2) → だからこの世が悪いのは当たり前 そのことが見えないので、多くの人はだまされている事に気づかない 大金を持つことが幸福な事、この世で評価されることこそが素晴らしいことと 勘違いをしてしまい、悪については目をつぶっている 世を支配する霊は、人々に「死んだ後の裁き」などないものと思わせ、 悪を容認させ、悪の中で滅びへと向かわせている 神から離れさせ、神に背を向けさせ、悪を蔓延させ、悪の中でもがき苦しませている 世の中が悪い状態であることに、気付いている人も少なくない 政治家が悪い、よその国が悪い、世界を牛耳る人々が悪いなどと噂しているのだが、 何のことはない、世界を牛耳っているトップは悪魔である 悪魔が、悪霊どもや人々を利用して世を支配しているに過ぎない こんな悪しき世が、いつまでも続くわけではない 悪魔よりもはるかに力強い神が、最終的に完全な裁きをなして下さるのである3.今の天地は新しい天と新しい地に変えられ回復する@天の御国にイエスは住まいを用意してくださっている今の天と地は、滅びることになっている もちろん悪魔も滅びる イエスはそれを語っておられる「天地は滅びる」(マタ24:35) 新しい天と地がやってきて、天地の完全な回復の時が来るのである 私たちの永遠に続く住まいは、新しい天と新しい地(ヨハ14:1-3) にこそある イエスは信じる者たちのために、そこに住まいを用意しに行っておられ そして準備が整ったら、再びこの世へ戻って来られ信者たちを引き上げてくださるのであるAこの世の教会は天国の前味を味わう場所現在の悪の世にあって、教会の存在はどうあるべきだろうか? 滅びゆく地にある教会は、どうあるべきなのでろうか? 滅びるものにではなく、滅びないものにこそ力を使うのである 大きく立派な会堂を建てて、それを誇る教会もある いろいろな社会事業を行って、社会に大きく貢献しようとしている教会もある しかし、どんなに荘厳な会堂を建ててもどんなにいろいろな事業を行ったとしても、 それはこの世で終わるものであり、永遠には続かないのである 教会の本質は、建物や事業にあるのではない 教会はイエスを信じる人々の集まりであって、そこで神を愛し互いに愛し合うのである それが教会であって、互いに愛し合う所に神も臨在し そこで、天国の前味を味わうことができるのである 教会は、天国の前味を味わうことができるそういう場所なのだ この世では完璧な教会にはなり得ないけれども、まるで天国のような神の臨在を体験したり 神の御業を体験することができる、そういう場所が教会なのである けれども、この地上にある限り完璧にはなり得ない この地にある限り、教会は完全にも完璧にもなり得ない 完全を目指して進むが、真の完成は天の御国においてなされるのであるB天の御国こそ完全な回復の場所天の御国こそが、教会が真に完成する場所 完全に回復するのは、天の御国においてである そこには素晴らしい回復がある 神が人と共に住み人は神の民となる 私達の目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。 もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もないむすび.この世のものではなく天にこそ望みを置こう!新しい天地こそ、永遠の住まいであり真の故郷なのだ 世に流されることなく天に目を注いで生きよう! 天の御国で私たちは、完全な回復を見ることになる この世のものではなく天にこそ望みを置こう!