1.パウロは力ある大きな働きをした → 「彼は強靭な人物だったのか!?」@伝道旅行の範囲は実に広範囲に及ぶパウロは、少なくとも3回の伝道旅行をして最後はローマにまで護送された 伝道旅行第1回(使徒13:3-) → 第2回(使徒15:40-) → 第3回(使徒18:22-) アンティオキアから始まってローマにまで及んでいる 実に数千キロに渡る旅程A迫害を受けても牢に入れられても難船しても宣教継続パウロは、リストラでは石打に会い瀕死の状態になり フィリピでは鞭打と投獄の苦しみを受けている 39回の鞭打ちが5度,難船が3度,一昼夜海上に漂ったこともあった(2コリ11:23-28) 様々な困難の中でも、宣教をやめることはなかったB多くの人々が救われ各地に教会が建てあげられたパウロは、教会のまだない所で宣教し教会を建てていった(ロマ15:20) コリント,テサロニケ,フィリピ,エフェソに、実際に教会ができていった できた教会を手紙をもってフォローしている このように見てくると、パウロは凄まじく強靭な意志と力をもって その力で宣教を続けていったように感じられる2.パウロも弱い人間だったので不安と恐れと苦しみの中で気落ちしていた@パウロは安らぎがなく恐れてことごとに苦しんでいたしかしそのパウロも、弱さを覚えていた 「マケドニア州に着いたとき、わたしたちの身には全く安らぎがなく、ことごとに苦しんでいた。」 「外には戦い内には恐れがあった(2コリ7:5)」← 聖霊に導かれていたにもかかわらず パウロは不安と恐れで苦しんでおり、気落ちしていたA神はテトスの到着によってパウロたちを慰めた(2コリ7:6)パウロの不安と恐れと苦しみは、テトスの到来で除かれた テトスが来てパウロと会って話すと → パウロは回復 気落ちしていたパウロが、再び喜びと力に満ちていったBテトスの話の内容が良かった 「コリント教会のパウロへの愛」テトスが来てくれたことによってだけではなく、 『彼があなたがたから受けた慰めによっても』そうして下さった コリント教会の人々が、パウロを慕い、パウロのことを嘆き悲しみ、 パウロに対して熱心であることを伝え聞いた → パウロの中に喜びが充満していった 「いっそう喜んだ(7:7)」3.神は人を通してパウロを回復させて下さった@もしテトスがパウロの元に行ってなかったらどうだったか?パウロは不安と恐れと苦しみの中で気落ちしたままで 慰めも受けることがなかった (2コリ7:6)=弱いままだった 「パウロは強いから大丈夫だ!」というのではなかった もし気落ちしたままだったら、どうして宣教し続けることができただろうか? 「もうだめだ、これ以上できない...」という状態であったら その先の活動は、行き詰っていたことだろうA神は人と人が愛し合う様に導いて人に回復を与えた気落ちしていたパウロを回復させたのは、テトスだった 神が直接パウロを慰めたのではなく、テトスを通してパウロは慰めと励ましを受けた 神がパウロの夢に現れたり、幻を示して励まし慰めることも当然できたはず でもそうされなかった 神は人と人が愛し合うことを願っておられる。 互いの愛によって励まし合い、慰め合ってお互いを回復させるように 神は導かれた → そしてパウロを回復させた 神はテトスを用いられたのである 「しかし、気落ちした者を力づけてくださる神は、 テトスの到着によってわたしたちを慰めてくださいました。(2コリ7:6)」 神は、気落ちした者を力づけてくださる方である この時神は、テトスを用いてパウロを慰められたのであったB愛することが人を回復させ強くする強靭に見えたパウロにも、愛されることが必要だった 人は、苦しいことが重なったり続いたりすると、気落ちしてしまう パウロもまさにその状態に陥っていた しかしテトスと会うことを通して テトスからコリント教会の人々の愛を聴かされることを通して パウロは完全に回復したのである パウロの宣教が続けられたのは、聖霊による助けと導きがあった事と共に 同労者や各教会からの、愛があったからこそなのであることがわかる パウロの回復のために、人々の愛が大きく用いられていたのであるむすび.私たちも人を愛して回復させる者となっていこう私たちも、人を愛することを通してその人を回復させることができる 人を愛することは、愛する人に大きな力を与えることになる パウロの様に恐れと不安の中で苦しみ気落ちしていても、 その人を大きな喜びに満たすことができる 愛する決断をして、愛の行動を実際にしていくものとなろう そして多くの隣人を回復させていこう