1.物理的な神殿と城壁は回復したが心は違っていた@捕囚の時代エルサレムの神殿も城壁も破壊されていた捕囚の時代はエルサレムは廃墟だった→神殿もない エルサレム帰還後にまず行ったのは神殿の復旧工事 民は神殿を建てよというキュロスの命令で帰還していたA帰還後にまず神殿が回復し、続いて城壁も回復した神殿だけ回復させればよかったのではなく城壁も必要 敵の攻撃がある。城壁再建の時も敵が攻撃してきた 敵の攻撃を防ぐための城壁が必要だった→城壁も回復B城壁は回復したが、心の中の城壁は崩れたままだった荒廃したエルサレムに神殿も城壁も回復した (エズ9:9) しかし目に見えない心の中が問題だった (9:10-15) 心の城壁は破れ神に背き異民の嫁を迎えていた (10:2)2.心の中に神殿と城壁両方を回復しなければならない@救われると心の中に神を礼拝する神殿が回復する本来人間は神を礼拝するように造られている 罪の中で生きている=心の中の神殿が崩壊した状態 イエスを信じる=心の中に神を礼拝する神殿が回復A心の中の神殿が回復するだけでなく城壁回復も必要信仰を妨害してくる敵が存在しており攻撃してくる 「火の矢」が放たれる→心身を傷つける攻撃→滅び 誘惑を持ちかける→神を畏れないようにさせる→滅びB敵からの攻撃を防ぎ守る城壁を、心の中に構築する必要がある神が火の城壁となって私を守って下さる (ゼカ2:9) 神への信仰・信頼が攻撃に対する防御の盾 (エ6:16) 隙を作らない→愛による平和と一致を固守 (エ4:2-3)3.神に従い礼拝しつつ敵と戦うのが私たちの信仰生活@イエスの宣教には絶えず敵からの攻撃が付いて回ったファリサイ派の人々や律法学者たち、最後は十字架Aパウロの伝道旅行も宣教と敵の攻撃の両方があった魔術師バルイエスという偽預言者 (使徒13:6)に始まり 迫害の連続 13:45,50,14:2,5,6,19,16:17-24,17:5,13...B私たちの信仰生活も礼拝と戦いの両方が存在救われ神に愛されているから大丈夫→だが気を抜くな 信徒を憎み激しく怒っている敵がいる→攻撃があるむすび.心の中に神殿と共に城壁も再建していこう忘れてはならないのは敵の攻撃があるということ 城壁がなければやられてしまう。信仰の城壁を築こう!