2023年10月15日  「ゆるしによる回復」
          ヨハネによる福音書 8章1〜11節
1.彼女は律法によれば死刑を免れ得なかった
@律法は姦淫を厳しく罰している
 姦淫してはならない (出エ20:14 , 申命5:18)   姦淫した男も女も共に必ず死刑 (レビ20:10)  結婚時処女でなければ石で打ち殺す (申22:20-22)
A彼女は姦淫の現行犯だった
 言い逃れも弁解も弁明もできない程明確な罪を犯した
B本来なら死なねばならない程の重罪だった
 必ず死刑に処せられる。(レビ20:10)  自分にはもうどうしようもできない状況だった
2.彼女はイエスにゆるされて回復した
@石を投げる人がいなくなっても真の解決ではなかった
 彼女を裁く人が立ち去って石打ちにはならなかったが  神のみ前に罪は残り、罪を犯した事実は消えなかった  裁く人がいなくなっても真の解決にはなっていなかった
A罪が残存するなら、罪責感は消えずそこに回復はない
 罪責感が残るなら、残りの人生にそれが重くのしかかる  人から裁かれなくても、自分で自分自身を裁いてしまう  普通に結婚生活を送ったとしても過去の罪を思い出す
B主の与えたゆるしによって女性は完全に回復した
 イエスは、「わたしも罪に定めない」と断言された  女性はイエスによって完全に罪がゆるされて回復した  ゆるされてはじめて、罪責感は消え回復する
3.そこにいたすべての人にも回復が必要だった
@姦淫の女性だけが回復している
 今回、回復を経験したのはこの女性ただ一人  ファリサイ派や律法学者たちは罪責感のまま  元々そこにいた民衆も傍観者で罪責感が生じたはず
A女性を連れて来た人たちにも回復が必要だった
 自分の罪に対する認識が甘かった。彼らも同じ罪人  人の罪を指摘して、自分は正しいという相対評価  罪を犯した女性を回復させようという愛の欠片もない
Bすべての人にゆるしによる回復が必要だった
 はじめは、姦通した女性だけが悪く見えた  ファリサイ派や律法学者たちも自身の罪を認めた  民衆もやはり同じように自身の罪を認めたことだろう
むすび.罪がゆるされてはじめて真の回復がある
 ゆるしを必要としない人など、世界にひとりもいない