1.イエスは裏切ったペトロを責めずに問いかけた
@イエスの言葉には責めたり裁いたりする所がなかった
「私の言った通りだっただろう、自己認識が甘い」
「なぜ私の言葉を否定し私はできると言い張ったのか」
「おまえは従うというのは口先だけで行動は逆だった」
Aイエスは過去の罪を蒸し返さず今の意志を尋ねている
今私を愛しているか?これから私を愛して生きるか?
ペトロを回復に導く素晴らしい問いかけ→今どうなのか
今と未来の意志を問う「愛するか」という言葉それだけ
B過去を悔んだり弁明したりする必要は一切なかった
過去の罪を省みさせて、落胆させ失望させるのではなく
未来に目を向けさせてこれから私を愛して生きるか?
「既に過去の罪は赦しているよ」という愛が根底にある
2.ペトロはイエスに会わす顔がなかったが関係なし
@ペトロにとってイエスに会うのは辛かったはず
命を捨てるどころか知らないと3度も主を否定した
後悔の念と罪責感が重くのしかかっていただろう
自分はだめだ。立派な宣言をしたが口先だけだった
Aペトロは「愛します」と断言することができなかった
「あなたがご存知です」私には断言できません
ペトロ:命を捨てられる(ヨハ13:37) イエス:できない
私の裏切りをご存知だったあなたが知っているはず
B主は自分の弱さを知ったペトロに大きな使命を与えた
「わたしの羊を飼いなさい」=信徒の牧会をしなさい
他の弟子たちを含む信徒たちのリーダーとなりなさい
ペトロの過去ではなく今の愛する意志が基準だった
3.イエスは「愛するか」という言葉で繰り返し問われた
@すべての行動の根幹はイエスへの愛であるべき
なぜイエスは「私を愛するか」と聴いたのか?
主の働きをするのに最も必要なことは主への愛だから
主を愛さずして働くことは虚しく終わる。愛こそが土台
Aイエスは「この人たち以上に愛するか」と問うている
ペトロ「たとえ皆がつまずいても」(マタ26:33)私は
他の弟子達以上に主に従う決意が固いから大丈夫!
ペトロの言葉を尊重した「この人たち以上に〜」の言葉
B繰り返し尋ねることで意志のゆるぎないことを確認した
むすび.ペトロは見事にイエスの愛の言葉で回復した
過去を責めない愛の言葉によってペトロは回復した