2023年10月8日  「キリストの愛の言葉による回復」
          ヨハネによる福音書 21章15〜23節
1.イエスは裏切ったペトロを責めずに問いかけた
@イエスの言葉には責めたり裁いたりする所がなかった
 「私の言った通りだっただろう、自己認識が甘い」  「なぜ私の言葉を否定し私はできると言い張ったのか」  「おまえは従うというのは口先だけで行動は逆だった」
Aイエスは過去の罪を蒸し返さず今の意志を尋ねている
 今私を愛しているか?これから私を愛して生きるか?  ペトロを回復に導く素晴らしい問いかけ→今どうなのか  今と未来の意志を問う「愛するか」という言葉それだけ
B過去を悔んだり弁明したりする必要は一切なかった
 過去の罪を省みさせて、落胆させ失望させるのではなく  未来に目を向けさせてこれから私を愛して生きるか?  「既に過去の罪は赦しているよ」という愛が根底にある
2.ペトロはイエスに会わす顔がなかったが関係なし
@ペトロにとってイエスに会うのは辛かったはず
 命を捨てるどころか知らないと3度も主を否定した  後悔の念と罪責感が重くのしかかっていただろう  自分はだめだ。立派な宣言をしたが口先だけだった
Aペトロは「愛します」と断言することができなかった
 「あなたがご存知です」私には断言できません  ペトロ:命を捨てられる(ヨハ13:37) イエス:できない  私の裏切りをご存知だったあなたが知っているはず
B主は自分の弱さを知ったペトロに大きな使命を与えた
 「わたしの羊を飼いなさい」=信徒の牧会をしなさい  他の弟子たちを含む信徒たちのリーダーとなりなさい  ペトロの過去ではなく今の愛する意志が基準だった
3.イエスは「愛するか」という言葉で繰り返し問われた
@すべての行動の根幹はイエスへの愛であるべき
 なぜイエスは「私を愛するか」と聴いたのか?  主の働きをするのに最も必要なことは主への愛だから  主を愛さずして働くことは虚しく終わる。愛こそが土台
Aイエスは「この人たち以上に愛するか」と問うている
 ペトロ「たとえ皆がつまずいても」(マタ26:33)私は  他の弟子達以上に主に従う決意が固いから大丈夫!  ペトロの言葉を尊重した「この人たち以上に〜」の言葉
B繰り返し尋ねることで意志のゆるぎないことを確認した
むすび.ペトロは見事にイエスの愛の言葉で回復した
 過去を責めない愛の言葉によってペトロは回復した