1.義であり愛である神の定めは厳しい罰を伴っていた
@神を捨て他の神々に仕えるならば神の怒りが下る
他の神々を拝む(26)→大いなる怒り(24)
神を神としないこと→神との断絶→最後は滅び
決して滅んではならない→だから神は厳しく裁かれる
A神の厳しい裁きは人々を約束の地から抜き取る事
諸々の呪い+激しい怒り+憤り→他国に投げやる(27-28)
B義であり愛である神は愛の厳しい鞭で裁かれる
神が祝福を与えると約束→拒否→受け取れない
拒否する心ではなく神に従う心になる必要がある
愛の神は拒否する心を従う心にするため裁きを与える
2.神の裁きを受けた時にも回復の約束が与えられた
@罪を犯し裁かれた時に陥るのがもうだめだという絶望
神の裁きを受けひどい状況に陥った時絶望に陥る
しかし神はそこからの回復の道を備えておられた
A罪によって呪いが臨んだ時主に立ち返るなら回復する
「もうだめだ」で終わらない、「あなたの運命を回復する」
という約束が同時に与えられていた (申30:1-3)
Bどうすれば回復するのか?→主に立ち帰るだけ
あなたの神、主のもとに立ち帰り、わたしが今日命じる
とおり、あなたの子らと共に、心を尽くし、魂を尽くして
御声に聞き従うならば、(申命30:2)→悔い改めるだけ
3.罪を犯した結果酷い状況に陥ったとしても回復がある
@神は罪を厳しく裁かれるが回復の道も備えられている
現代社会では一度罪を犯すと二度と復帰できない
懲戒免職,懲戒解雇→回復不能,転職や再就職も困難
→神は立ち帰るだけで回復させるという憐れみの約束
A心を尽くし魂を尽くして神の御声に聞き従うならば
真実な悔い改めこそが神の求められていること
口先だけで心が離れていてはならない(マタ15:7-9)
心を尽くし魂を尽くして神の御声に聞き従う= 100%
Bイエスこそ完全な回復の道となられたお方
罪の結果どんなにひどい状況に陥っていたとしても
イエスが私たちの罪の裁きをすべて受けて下さったから
心から悔い改めるならそこからの完全な回復がある
むすび.罪の刈取りをすることがあったとしても回復もある
信仰生活の中でも罪を犯しその刈取りをする事がある
だがどんなに酷い状況になったとしても回復の道がある