1.ダビデはしばしば嘆きの中を通っている
@詩編に見るダビデの嘆きは数多い
わたしは嘆き疲れました。夜ごと涙は床に溢れ (詩6:7)
いつまで〜日々の嘆きが心を去らないのか (13:3)
もう立てないほど打ち砕かれ心は呻き (38:7-9)
嘆き求めるわたしから隠れないでください (55:2)
あなたはわたしの嘆きを数えられたはずです (56:9)
嘆き祈るわたしの声に (86:6,140:7,143:1)
Aダビデは嘆きの中でも主に信頼を置いた
命は嘆きのうちに年月は呻きのうちに尽きて (31:11)
→御もとに身を寄せます(31:1) 主に信頼します(7)
Bダビデは嘆きは喜びになると確信していた
あなたはわたしの嘆きを踊りに変え (30:12)
主の助けを得てわたしの心は喜び躍ります (28:7)
わたしの魂は主によって喜び躍り御救いを喜び
楽しみます(35:9) 〜でしょう(口語訳) will (NIV)
2.旧約聖書の中には嘆きから喜びに至った例が多い
@様々な苦しみの中での嘆きが喜びへ変わっている
エジプトでの奴隷の苦しみ (出エ2:24→15:1-20)
ハンナの子どもがいない嘆き (サム上1:10→20)
ネヘミヤの時代の城壁の荒廃 (ネヘ1:4→6:15)
エステルの時代の全滅の命令(エス4:3→9:22,23)
A極めつけはヨブの嘆きから喜びへの回復
湧き出る水のように私の呻きはとどまらない(ヨブ3:24)
ヨブの嘆き (7:13-14,10:1,23:2,30:26-28)
嘆きは完全に払拭され新たな祝福と喜び(42:10-17)
3.キリストの十字架の嘆きは復活の喜びで終わった
@キリストの十字架の時、弟子達は嘆いた
キリストの十字架の死は弟子達に嘆きをもたらした
キリストの十字架の死は非常な苦しみの極み
目撃者には何の希望ももたらさなかった→嘆きのみ
Aキリストの復活の姿を目撃した弟子達は喜んだ
キリストの復活は人々に喜びと希望をもたらし
嘆きを払拭した。キリスト復活で嘆きは吹き飛んだ
B苦難の十字架の嘆きは復活の喜びに変わる
十字架の嘆きが復活の喜びに変わったように
私たちの嘆きも主によって喜びの踊りに変えられる
むすび.神は私達の嘆きを喜びの踊りに回復して下さる
ダビデが嘆きの中から喜びの踊りに回復したように
キリストが十字架の死から復活し嘆きが喜びに逆転
したように、私たちの嘆きも必ず喜びの踊りに変わる