1.イエスと共にいた時弟子達には恐れはなかった
@弟子達は常にイエスに導かれる状態だった
たとえばペトロたち漁師だった弟子達は「わたしについてきなさい」と言われて
イエスに従い始めている。
マタイにしても徴税の業務中に、イエスに招かれてついて行くようになった
弟子達は、イエスが「行こう」と言えば、それに従ってついて行き
「とどまろう」と言えば、それに従って留まっていた
主導権は常にイエスにあり、弟子達はただ着いて行けばよかった
十字架直前のゲッセマネの園に至るまで、弟子達は常にイエスによって導かれていた
イエスが導き、弟子たちが従うという構図がそこにあった
A恐れの状況はすべてイエスによって取り除かれた
イエスに従っていった時、恐ろしいことにも遭遇したがすべてイエスが解決してくれていた
悪霊:悪霊につかれている人がいても、イエスが追い出してくれた
嵐 :湖の上で嵐に会っても、イエスが嵐を静めてくれた
反論:敵対者からの攻撃も、イエスが論破してくれていた
B弟子達が強かったからでなくイエスが共にいたから
恐ろしい状況を体験してはいるが、イエスがすべて解決してくれた
弟子達が何かをした訳ではなく、イエスがなされた
イエスが共におられたので、恐れはすぐに取り除かれた
ところがそのイエスが、ゲッセマネの園で捕らえられてしまい十字架刑で死んでしまわれた
ゲッセマネの後、「イエスが共にいて恐れを取り除いてくれる」という構図が
見事に崩れ去ってしまった
2.十字架後に弟子達は非常な恐れにとらわれた
@羊にとって羊飼いがいなくなることは非常な恐怖
羊には狼をはじめとして多くの敵がいる
そんな弱い羊を守るのが羊飼い。羊飼いがいるから羊は安全に過ごせる
羊飼いが取り去られたら、羊はひとたまりもない。敵が来たらひとたまりもない
十字架後の弟子達は、まさに羊飼いを奪われた羊のような状況に陥っていた
今まで自分たちの恐れを解決してくれていたイエスが、
突然十字架刑で死んでしまい、自分たちから取り去られてしまった
弟子達は、大きな恐れに捉われても仕方がない状況だった
A弟子達は敵対者に対して非常に弱かった
羊にとっての狼のような力強い敵対者たちが、弟子たちの周囲には大勢いた
弟子達よりも敵対者たちの方に権威があった(指導的立場)【力】
弟子達よりも敵対者たちの方が圧倒的に多かった【数】
弟子達よりも敵対者たちの方が聖書知識が豊富だった【知】
B状況から見て自分たちも同じ目に会いそうだった
リーダーであるイエスが捕らえられ、十字架刑になってしまった
イエスに従っていた自分たちが見過ごされるはずがない
探し出され捕らえられ、自分たちも死刑になるかもしれない
いやおそらく、そうなってしまうだろう→死に対する恐怖→戸に鍵をかけて閉じこもる
3.復活したイエスは弟子達を恐れから脱出させた
@弟子達皆で集まっていても恐れは全く消えなかった
弟子達はユダヤ人を恐れ家に鍵をかけていた(19)
恐れている人間が何人集まっても真の解決はない
恐れている人の所に、恐れていない人が大勢やってくれば恐れは薄まるかもしれない
しかし同じように恐れている人ばかりであれば、何人集まろうとも解決しない
恐れの原因が取り除かれなければ真の解決はない
A恐れの原因は何だったか?
a) イエスが取り去られた
狼に取り囲まれているのに羊飼いが取り去られてしまった羊のようになっていた
b) イエスの言葉を忘れていた
弟子達は、「人を恐れるな」というイエスの言葉を忘れていた (マタ10:5,26,28)
「わたしはよみがえる」という言葉も忘れていた
イエスの言葉を心にとめていたら、イエスが取り去られた後も恐れなかったはず
c) 誤解
「メシアはローマ帝国の支配から解放して、王国を作ってくれるはずではなかったのか?」
「なぜローマ帝国の総督によって死刑判決を受けて、イエスは殺されてしまったのか?」
「イエスは王なるメシアではなかったのか?メシアの王国はどうなってしまったのか?」
d) 無知
メシア預言に関して、ちゃんとした知識を持っていなかった
メシアが十字架にかかって死なれ、その後復活するということについて無知だった
もしメシアが十字架後に復活するということを明確に知っていれば恐れなかったはず
e) 目に見える衝撃的な状況に打ちのめされていた
あまりにも悲惨で過酷な十字架刑を目撃していたので、その衝撃が凄まじかった
弟子たちは恐れの中に閉じ込められてしまっていた
B弟子達の恐れは復活のイエスに会っただけで払拭された
敵の状況はそのままでイエスが現れただけで回復した
どんなに敵が迫ろうともイエスがいれば大丈夫!
むすび.イエスは私たちを恐れから喜びへ回復させる
主イエスは私達も恐れから完全に回復して下さる