1.イサクは父アブラハムによって犠牲にされる寸前に!@神の命令通りアブラハムはイサクを捧げようとした神の命令「息子を焼き尽くす献げ物として捧げよ」 アブラハムは神に命じられた通りに行った 神が命じた場所で祭壇に載せたイサクを屠ろうとしたAアブラハムの心の中ではイサクは既に死んでいたアブラハムはイサクを本当に捧げようとしていた アブラハムの心の中ではすでにイサクは死んでいたBイサクも心の中で死を覚悟していたイサクは父アブラハムのなすがままに祭壇の上に イサクは祭壇の上で自分の死を覚悟した2.イサクはまさに命が断たれようとしている寸前で回復@神はイサクを殺すことを意図されたのではなかったアブラハムの信仰を試しておられた→見事に現れた 「独り子すら、わたしにささげることを惜しまなかった」 御使いが止めてイサクは屠られる寸前で助かったA本来絶望をもたらす死の中から再び命に回復した死を覚悟したイサクだったが死ななかった。生きた! 神はアブラハムに彼が神にささげたイサクを返されたBイサクの代わりに犠牲となって捧げられたのは雄羊イサクは回復したがその代わりに雄羊が捧げられた イサクは死から回復し、雄羊は代わりに死んだ キリストは私たちの身代わりに死に、私達は回復した3.神は一旦心の中で死なせてから、命に回復させた@アブラハムは自分に死んで、神に生きていたアブラハムは既にイシュマエルを追い出し失っている 続いてイサクをも犠牲として捧げよと神に命じられた その状況でアブラハムはイサクを速やかに捧げているAイサクも自分に死に、神と父に従順に従ったイサクも自分の命に執着せず、神と父に従順だった 自分が犠牲にされてもいとわない!自我に死んでいるB主に従うためには自分に死ぬことが求められている日々自分の十字架(死)を負うて主に従う(マタ10:38) 自分を捨てて従う=自分に死ぬ(マタ16:24-25)むすび.神はキリストによって私達を死から命へ回復私達は罪の中で死んでいたが、キリストの死によって 死から回復し、永遠の命が与えられた (エ2:1,4-7) 今度は自分に死ぬことによって神の命に生きていく!