2023年1月8日  「アブラハムの回復」
          創世記 21章9〜12節
1.アブラムがハガルによって子をもうけたことで、家庭の混乱が始まった
@サライは不妊の女で子供ができなかった (創11:30)
 神の子孫繁栄の約束とは裏腹に、カナンで10年間何事もなく経過していった  サライの思い「主が私に対して、子どもを産めないようにしておられる。」  「ハガルをアブラムの側女にしてその子の母になろう」(創世16:3)
Aアブラムは、サライの願いを聞き入れた(創世16:2)
 神の約束はアブラム夫妻に子を与えるというもので、側女を通してではなかった  妻サライの考えは神の約束と違っていて、明らかに間違っていたのだが  アブラムは妻の提案を受け入れてしまった
Bハガルは妊娠したがアブラム家に混乱が生じた
 ハガルが妊娠→ハガルが高慢になる→サライは夫に責任転嫁「あなたのせいです」  アブラム「好きなようにしなさい」→サライがハガルに辛く当たる→  ハガル逃げる→ハガルがみ使いと会う→ハガルは帰宅→イシュマエルを出産
2.イサクが誕生後、家庭はさらに混乱しアブラハムは大いに苦しんだ
@約束の子イサクが生まれてアブラハム家は笑いに包まれた
 主は、約束されたとおりサラを顧み、さきに語られたとおりサラのために行われた  彼女は身ごもり、年老いたアブラハムとの間に男の子を産んだ。(創世21:1-2)  アブラハムはサラが自分に産んだ子をイサクと名づけた。(創世21:3)  サラ「神はわたしに笑いをお与えになった。   聞く者は皆、わたしと笑い(イサク)を共にしてくれるでしょう。」(創世21:6)  アブラハムはイサクの乳離れの日に盛大な祝宴を開いた。(創世21:8)
Aしかしイシュマエルがイサクにとって厄介な存在になった
 イシュマエルがイサクをからかう→サライがそれを見る  サラの訴え「ハガルとその子を追い出してほしい」  「イシュマエルはイサクと同じ跡継ぎとなるべきではない」(創世21:10)
Bハガルによって子をもうけた事は結局苦しみの原因になった
 自分の子イシュマエルを追い出せと、妻のサラから訴えられる  これはアブラハムを非常に苦しめた(創世21:11)  アブラハム家に非常に大きな混乱が渦巻いた  当初はハガルによって子を得られればそれでも良いと軽く考えたが  それは神の計画に反する、人間的な軽率な解決法だった  約束の子イサクを与えて下さる、神の時を待たねばならなかった
3.神の言葉による平穏な家庭への回復
@神の解決が与えられた「サラの言う通りにせよ」
 神の言葉は、サラの言う通りにせよというものだった  「あの子供とあの女のことで苦しまなくてもよい」  「すべてサラが言うことに聞き従いなさい」(21:9-12)
A非常に心の痛む解決だったがアブラハムは実行した
 アブラハムは神の言葉通りに、ハガルとその子を家から追い出すという厳しい決断をした  それはハガル母子にとっては、命にもかかわる事であり  アブラハムにとっては子を失うという、心を大いに痛ませることでもあった
Bハガル母子を追い出すことによってアブラハム家に平和が回復した
 しかしその後、アブラハム家の混乱は収まり平和が回復した  アブラハム家の平和は、ハガル母子を追い出すという痛みによって回復した  ハガル母子を追い出すことがなければ、混乱が続いたままで平和は回復しなかった
むすび.私たちはキリストの十字架の痛みによって回復している
 神の計画に反する人間的な軽率な判断が、返って混乱をもたらしたこと  それに対する回復には、非常に大きな痛みが伴ったことを教えられる  人間は罪人であり、そのような軽率な判断で苦しみ、その後痛みによる回復を経験する  神の御心に反した軽率な判断と行動が、隣人を苦しめ自分自身も苦しめてしまう  信仰の父と言われたアブラハムも、それを経験した  私たちもなおのこと、そうなる可能性をもっている  アブラハムの「息子イシュマエルを失うという痛み」が、家庭の平和を回復したように  父なる神の「ひとり子イエスを失うという痛み」と、イエスの「十字架の痛み」とが  罪人として生まれた私と、父なる神との平和を、回復したのである  今や私たちは、何の痛みもなくただ「キリストの十字架による身代わりの刑罰」という  神の恵みによって、父なる神との平和を回復することができるようになったのである  信じるだけで、信仰だけで回復を得ることができるのである