1.神の計画はバプテスマのヨハネを用いることだった
@バプテスマのヨハネは悔い改めの洗礼を授けた
人々はヨハネの元に来て罪を告白し洗礼を受けた
(マタ3:1-6,マル1:2-6,ルカ3:2-6,ヨハ1:19-28)
ヨハネの働きこそ救い主イエスのための道備えだった
Aヨハネはイエスを人々に救い主として示した
「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハ1:29-37)
その方は聖霊で洗礼をお授けになる(マル1:7-8)
イエスこそ「聖書で預言されていた救い主だ」と示した
Bバプテスマのヨハネは神によって大きく用いられた
洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった(マタ11:11)
祭司長や長老たちの批判への回答(マタ21:23-25)
神の計画はバプテスマのヨハネを用いることだった
2.ザカリアは神の計画を否定してしまった
@ザカリアに天使が現れて神の計画を告げた
あなたの妻エリサベトは男の子を産む。(ルカ1:11-17)
神の計画はザカリアの子として生まれさせることだった
Aしかしザカリアはその神の計画を否定してしまった
「わたしは老人ですし妻も年をとっています。」(1:18)
老人の私たちにはあり得ないと神の計画を否定した
Bザカリアは時が来るまで口が利けなくされてしまった
「あなたは口が利けなくなり、この事の起こる日まで
話すことができなくなる。時が来れば実現する
わたしの言葉を信じなかったからである。」(ルカ1:20)
3.ザカリアはどうすればよかったのか?
@神の言葉をそのまま受け入れるべきだった
神が語られた言葉をそのまま受け入れるべきだった
神の言葉に対して削除も追加も変更もしてはならない
A神の計画に自分の考えを挟んではならなかった
神が計画されたことに自分の否定的考えを挟んだ
出エジプトで用いられたモーセもこれをやってしまった
「私は何者でしょう」(出エ3:11)「誰か他の人を」(4:13)
B人にはできないことも神にはできると信じるべきだった
できないと思えても神にはできると信じる(ルカ18:27)
神は天地万物の造り主であり全知全能の神(創世1:1)
むすび.神の計画を否定することから解放されよう
神の計画は人知を超える計画で理解を超えている
そのまま受け入れて御心が地になされていくよう祈ろう