2022年11月20日  「思い煩いからの解放」
          フィリピの信徒への手紙 4章6〜7節
1.なぜ思い煩ってしまうのか?
@やるべきことができていない
 宿題が終わらない → 「どうしよう?」  仕事が終わらない → 「どうしよう?」  借金が返せない → 「どうしよう?」  その他、様々な約束が守れない時、「どうしよう?」ということになる  やるべきことができていない → 責任は自分にある  自分がなすべきことをきちんとやれば、すべて解決する  きちんとやれていれば、思い煩う必要などまったくないはず  期限までに宿題をやってしまえば、思い煩う必要などない  期限までに仕事を終わらせておけば、思い煩う必要などない  期限までに借金を返すだけのお金を貯めておけば、思い煩う必要などない  なすべきことを期限までにやり終えられれば良いのだが、それができない  やるべきことをきちんとやりたいのだが、やる気が起きなかったり後回しにしたり...  できない自分を変えられず、思い煩ってしまう
A状況が悪化した
 自己責任でなく、状況が悪化した場合も思い煩いは湧き上がる  他人が関与している場合:   無視された、素っ気ない態度、明らかに嫌っている態度   きちんと話を聞いてくれない   頼んだことをちゃんとやってくれない   いじめられた、罵声を浴びせられた、罵詈雑言を言ってくる   悪口、陰口、暴力などの害を加えてくる   「どうしよう?」ということになる  失った時:財産、仕事、安定、健康、友人、家族   突然の災害や事業の破綻、盗難などで財産を失った時   倒産や解雇などで仕事を失った時   収入が極端に減って生活の安定を失った時   健康を害して入院してしまった時   信頼していた友人や、家族を失ってしまった時   「どうしよう?」ということになる  死を目前にした時:重病、事故、犯罪、災害   自分や家族や隣人が、重病、事故、犯罪、災害で   死にそうな時、「どうしよう?」ということになる
B恐れるから思い煩う
 思い煩いは、恐れに起因することが多い  自分を害してくる人を恐れる、やがて来るだろう苦しみを恐れる、  今の苦しみがさらにひどくなるのではないかと恐れる  究極は死の恐れ=死ぬのが怖い  そして、そのことで思い煩いが湧き、思い煩いが心を占領してしまう
2.思い煩いがなぜ良くないのか? 罪だから
@思い煩う時、神への信頼をやめている
 思い煩いが良くない理由の一つは、神への信頼を失っていることにある  神を信頼せず、神が助けて下さらないと信じている  どんな状況においても、神が助けて下さると信じているなら思い煩う必要はない
A神の全能性を否定している←神にもできない
 思い煩いが良くない理由のもう一つは、神は私の苦難を解決できないと信じているから  私にはこの苦難をどうすることもできないが、神もまたどうすることもできないのだ  と、神の全知全能性を否定してしまっているから良くないことになる  やるべきことができない私を、私はどうすることもできないが  こんな私は、神も変えることができないのだと思い込んでしまう  「人にはできないことも神にはできる」と信じていない
B神の愛を否定している←神は私を愛してくれてない
 思い煩いが良くない理由のさらなるもう一つは、神は私を愛してくれていないと信じているから  こんな状況に陥ってしまった私は、神に見捨てられているんだ  このように思い込んでしまうと、自分一人で思い悩んでしまうことになる  神は状況がどうであろうと、私を限りない愛で愛して下さっている  ということを忘れてしまっているから、思い煩ってしまう  神は愛する者を、ただ順風満帆にみちびかれるのではなく  懲らしめたり訓練を与えて下さったりするということを忘れている  だから思い煩ってしまう  神の愛を忘れてしまっている状態だから、良くないのである  思い煩いは、神の全知全能性や神の愛を忘れている状態であり  神に信頼していない状態であって、それは本来的な人間の姿ではない  だから思い煩いは捨て去らなければならない
3.パウロはなぜ思い煩わなかったのか?
@パウロは思い煩うような状況を体験しなかったのか?
 手紙の中で「思い煩うな」と命じたパウロは、なぜ思い煩わなかったのか?  パウロは思い煩わざるをえないような、苦しみの経験をしていなかったのか?  確かにパウロは裕福な家に生まれ、ローマ市民権を生まれながらにして持っており  ガマリエルの元で律法の教育を受け、ファリサイ派としては行動的で  非常にうまくやっていたことは確かだった  しかしキリストに出会って、信仰を持った後のパウロは苦難の連続だった。  度々死に直面しているし、鞭で打たれ投獄されたり、一昼夜海上を漂流したりしている  パウロは思い煩わざるをえないような、苦しみの経験を山のようにしている  そのパウロが「思い煩うな」と書き送っているのである
A神が助けて下さることを当然のごとく確信していた
 パウロは、神が助けて下さることを当然のごとく確信していた  フィリピの牢獄の中でも、思い煩うことなく賛美と祈りをささげていた  ローマへ護送される船の中でも、嵐で漂流し助かる望みがなくなった時でさえ  思い煩うどころか「元気を出しなさい」とみんなを励ましてさえいるのだ  パウロはその時、神から「ローマでも証ししなければならない」という指示を聴いていた  パウロは神との深い交わりの中で生活をしていたから、神の指示を聞くことができていた  神の導きを知る事によって、思い煩うことから解放され  望みを失っていた人々を、力づけることができていた
B天における永遠の命の約束を確信していた
 パウロにはまた、この地上のことよりも天のみ国を思うという姿勢があった  天において素晴らしい永遠の命が待っているのに  この地上のことで思い煩う必要はないという姿勢
むすび.どんなことでも、思い煩うのはやめなさい
@どんなことでも 罪を犯した後でも、被害にあっても
 罪を犯した→もうだめだではなく十字架の赦しがある  失敗した,人から被害,良くない出来事→万事は益に  死に直面→イエスは死に勝利し永遠の命を与える
A人にはできなくても神にはできると信じる
 自分にはできないことでも神にはできると信じる
B感謝を込めて祈り願い神に打ち明ける
 神に愛されていることを「感謝」する  神に思い煩っていることを祈って「打ち明ける」  神に「信頼」し神を喜び神に感謝して生きる