1.ピラトは群衆の間違いに気づきながら屈してしまった
@人々はイエスを誤認し十字架につけるよう要求した
人々は、イエスは「神の子でなくただの人間だ」と認識していた
ただの人間なのに「自分を神の子としている不届き者だ」という認識だった
自分を神とするような神を冒涜する罪人は死刑だ!
これがイエスを十字架につけるように要求した理由だった
宗教的指導者であった、祭司長もファリサイ派も律法学者も
イエスを誤認してしまった → これこそ最大の間違いだった!
Aピラトはイエスに何の罪も見いだせなかった
ピラトはイエスを自分で調べたが罪は見いだせず
釈放すべきだと考えた。 → ピラトの判断は正しかった
ピラトは「彼に罪はない」と、正しくイエスのことを認識していた
Bピラトは人々が間違っていると知りつつ十字架を許可してしまった
群衆の声がピラトの声に勝った。
彼は総督という権威を持った人物だったが、大勢の前では無力だった
明らかに間違っているにもかかわらず、相手が多勢であったため妥協せざるを得なかった
使徒信条「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け…」という告白が
多くの教会で告白されている。実に不名誉な名前となってしまった
2.大勢の方が間違っている場合がたくさんある
@「狭い門から入りなさい」
滅びに通じる門は広くその道も広々として
そこから入る者が多い(マタ7:13)→間違う人々は多い
A旧約聖書での大勢の方が間違っていた例
その世代の中でノアは神に従う無垢な人 (創6:9)
偵察隊の中でカレブとヨシュアだけ正しい (民14:6-9)
怖気づく戦士達や反対する兄とダビデ(サ上17:28)
B新約聖書での大勢の方が間違っていた例
イエスに罪を見出せなかったピラトと群衆(ルカ23)
復活の主を目撃した女性たちと弟子達 (ルカ24:9-11)
コルネリウスに宣教したペトロと教会の人々(使11:2-3)
3.大勢の間違いに流されないためにイエスを見続ける
@イエス・キリストこそ正しく真実なお方
間違いを犯しやすい大勢の人々の言葉を聞く前に、イエスの言葉を聴く
イエスこそ、まったく正しい真理であるお方
イエスをまっすぐに見つめ続けるなら、間違うことはない
A復活の主イエスに出会ったからこそ正しく理解した
復活の主を目撃した女性たち(特にマリア)は、イエスに出会ったから正しく理解した (ヨハ20:16)
クレオパともう一人の弟子も、イエスに出会ってその言葉によって正しく理解した (ルカ24:18-31)
復活のイエスの言葉を聞いて間違いから解放された
B聖霊に満たされていたからこそ間違いを大胆に指摘
聖霊に満たされたペトロは大胆に語った (使2:14-36)
聖霊に導かれていたパウロは、神によって正しい判断を与えられた
皆が大丈夫だと語った時、「危険だ!」と正しく指摘している(使27:9-11)
むすび.イエスだけを見つめ間違いに流されるな!
歴史を紐解くと大勢が間違っていた場合がとても多い→多数決は危険
イエスを救い主と信じられなかったり、正しい神を間違って理解している人が多い。
キリストを見つめて、聖霊に導かれ大勢の間違いに流されないで生きることが大切