2022年7月10日  「姦淫からの解放」
          マタイによる福音書 5章27〜28節
1.姦淫を行わなくてもその思いだけで罪
@姦淫は心で思っただけで実行したのと同じ罪
 十戒「姦淫してはならない」=実際の姦淫の禁止  「みだらな思いで他人の妻を見る」=心の中での姦淫  誰にもわからないのではない=霊の世界では明白
A聖霊を悲しませる時そこに隙ができ攻撃を受ける
 思いにおける罪→聖霊を悲しませ→霊的に大きな隙  隙を狙う敵はそこを足掛かりにして襲うことが可能に  罪の放置→聖霊の力を妨げ→弱体化→悪魔に敗北
B悪魔の攻撃は私たちの思いを標的にして狙ってくる
 悪魔の策略=私たちの思いを狙う:恐れ・怒り・好色…  「みだらな思い」を持つように火の矢を放ってくる  火の矢をまともに食らうと罪に落ち込む→最後は滅び
2.ダビデは誘惑に負け姦淫の罪を犯した(サ下11:1-5)
@それは突然の不意打ちだった〜誘惑は不意打ち〜
 ダビデにとって単なるゆったりとした散歩のはずだった  まさかそこに裸の女性が水浴びしているとは想定外  午睡のあとの油断していた時に不意打ちを食らった
Aダビデはひとりだった〜誰も一緒に見ていなかった〜
 もしそこにダビデの部下が一緒にいたなら避けられた  人がひとりでいるのは良くない=誘惑に負けやすい  信徒が共にいるというのは罪から離れるのにも有益
Bダビデにはバト・シェバを呼び込む権威があった
 ダビデは王という権威を悪用してしまった  権威や地位を得た時最も注意しなければならない
3.聖霊は私たちを肉欲から助け出し誘惑に勝利させる
@思いにおける罪を軽く考えてはならない
 実際に姦淫せずとも思うだけで姦淫と同じ罪になる  罪を放置するならその最後は永遠の滅び 絶対ダメ  法的に犯罪にならなくても軽く考えず重大事と認識
A聖霊に満たされている時姦淫の誘惑の隙がなくなる
 聖霊は力強く私たちを守られ導いて下さるお方  聖霊に満たされて生きることは安全で力強い
B神の武具で武装し信仰の盾ではじき返そう!
 聖霊に満たされ神の武具で武装し信仰の大盾を使う  そうすれば攻撃を跳ね返して聖く生き続けられる
むすび.聖霊に満たされ罪の思いをはじき出そう
 油断せず聖霊の導きの元解放されて生きよう(ガ5:16)