1.姦淫を行わなくてもその思いだけで罪@姦淫は心で思っただけで実行したのと同じ罪十戒「姦淫してはならない」=実際の姦淫の禁止 「みだらな思いで他人の妻を見る」=心の中での姦淫 誰にもわからないのではない=霊の世界では明白A聖霊を悲しませる時そこに隙ができ攻撃を受ける思いにおける罪→聖霊を悲しませ→霊的に大きな隙 隙を狙う敵はそこを足掛かりにして襲うことが可能に 罪の放置→聖霊の力を妨げ→弱体化→悪魔に敗北B悪魔の攻撃は私たちの思いを標的にして狙ってくる悪魔の策略=私たちの思いを狙う:恐れ・怒り・好色… 「みだらな思い」を持つように火の矢を放ってくる 火の矢をまともに食らうと罪に落ち込む→最後は滅び2.ダビデは誘惑に負け姦淫の罪を犯した(サ下11:1-5)@それは突然の不意打ちだった〜誘惑は不意打ち〜ダビデにとって単なるゆったりとした散歩のはずだった まさかそこに裸の女性が水浴びしているとは想定外 午睡のあとの油断していた時に不意打ちを食らったAダビデはひとりだった〜誰も一緒に見ていなかった〜もしそこにダビデの部下が一緒にいたなら避けられた 人がひとりでいるのは良くない=誘惑に負けやすい 信徒が共にいるというのは罪から離れるのにも有益Bダビデにはバト・シェバを呼び込む権威があったダビデは王という権威を悪用してしまった 権威や地位を得た時最も注意しなければならない3.聖霊は私たちを肉欲から助け出し誘惑に勝利させる@思いにおける罪を軽く考えてはならない実際に姦淫せずとも思うだけで姦淫と同じ罪になる 罪を放置するならその最後は永遠の滅び 絶対ダメ 法的に犯罪にならなくても軽く考えず重大事と認識A聖霊に満たされている時姦淫の誘惑の隙がなくなる聖霊は力強く私たちを守られ導いて下さるお方 聖霊に満たされて生きることは安全で力強いB神の武具で武装し信仰の盾ではじき返そう!聖霊に満たされ神の武具で武装し信仰の大盾を使う そうすれば攻撃を跳ね返して聖く生き続けられるむすび.聖霊に満たされ罪の思いをはじき出そう油断せず聖霊の導きの元解放されて生きよう(ガ5:16)