2022年5月8日  「主に対する疑いからの解放」
          ヨハネによる福音書 1章43〜50節
1.ナタナエルはフィリポの言葉を信じられなかった
@フィリポは直接イエスに招かれてメシアと信じた
 フィリポはペトロとアンデレと同じベトサイダ出身  イエスはフィリポに「わたしに従いなさい」と言われた  ペトロ、アンデレ、ヨハネ、ヤコブ同様直接招かれた
Aフィリポはナタナエルにイエスのことを伝えた
 フィリポはナタナエルに出会って体験を伝えた。  律法に記され預言者たちも書いている方=メシア  に出会った。ナザレの人で、ヨセフの子イエスだ
Bナタナエルはフィリポの言葉を信じられなかった
 「ナザレから何か良いものが出るだろうか」  初めから撥ねつけている=そんなことはあり得ない
2.彼の不信仰は聖書を知らなかったからではなかった
@ナタナエルは決して聖書について無知ではなかった
 メシアはナザレでは生まれない=正解!  ベツレヘムからイスラエルを治める者が出る (ミカ5:1)  ナタナエルはしっかり旧約聖書の言葉を覚えていた
A無知ではなく知っていたからこそ信じられなかった
 聖書を知らなかったから信じられなかったのではなく  正しく理解し記憶していたからこそ信じられなかった  「ナザレ出身者」がメシアのはずがないベツレヘムだ
B聖書を正しく理解していても信じられないことがある
 聖書を読んで正しく理解することは信じるために必要  けれども聖書を理解するだけでは信仰に至らない
3.ナタナエルは自分自身でイエスに出会って信じた
@フィリポはナタナエルをイエスの元に連れて行った
 フィリポは「来て、見なさい」と言って連れて行った  とにかくあなた自身でイエスに会って確かめなさい
Aナタナエルはイエスと直接会って会話をした
 イエスはすでにナタナエルを良く知っておられた  「まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。」  「あなたがいちじくの木の下にいるのを見た」
Bナタナエルは自分でイエスの言葉を聞いて信じた
 ナタナエルの疑いはイエスに出会って吹き飛んだ  友人の言葉だけでは疑いは払拭されなかったが  自分自身でイエスに会って聴いて信じることができた 
むすび.本人がイエスに出会って疑いから解放された
 周囲でなく本人がイエスの言葉を聴き信仰に進む!  信仰は、きわめて個人的なものであって本人の意思決断による。  いくらフィリポが熱心に信じていても、ナタナエルとは無関係だった  同様に、その人のために代わりに私が信じてあげようとか、  強制的に、信仰を無理強いしたりすることはしてはならない。  本人が自分自身で判断し、決断することが重要。  ナタナエルも自分自身でイエスに会って、そして信仰を持っている  聖餐式でも、あなたの代わりにわたしがあなたのパンを食べてあげましょう  と言うことができないのと同じで、信仰の代行はできない。  本人が自分自身で気が付いて、信仰の決断ができるように助けるのが  私たち先に信仰を持った一人一人の役目