2022年4月24日  「4日間の墓の中からの解放」
          ヨハネによる福音書 11章1〜46節
1.ラザロの死からの解放はイエスの復活を予表した
@イエスはラザロを死から解放された
 ラザロは死後4日経過しており、通常なら腐敗が進むところだった  (通常の魚や肉の屋外放置の場合を考えると理解できる)  しかしイエスはそのラザロを、腐敗させないどころか、死から生き返らせた  さらに病死にもかかわらず、その時の病気のかけらもない生き返り方  ラザロは完全に、肉体の死から解放されている  しかも死後4日も経ってから、生き返った  神に不可能はないことがわかる。  たとえ死んでも神の力があれば生き返れることが示された  ラザロとその家族にとっては、大きな喜びだった
Aラザロの生き返りはキリストの復活を予表していた
 ラザロを生き返らせる前、イエスはマルタに対して次のように語っておられる  「わたしは復活であり、命である。   わたしを信じる者は、死んでも生きる。」(11:25)  ただ単にラザロを生き返らせて終わりと言うことではなく  ラザロを生き返らせることを通して、イエスにこそ永遠の命があることを  明示されている  これから十字架で死なれようとしていたイエスが  十字架の後の復活があるということを、事前に示しておられた  実際に目の前で、それを示された出来事だった
Bそこにいた人々にとっては驚異の出来事だった
 この出来事の後、祭司長たちはラザロをも殺そうと謀っている。  それは、多くのユダヤ人がラザロのことで離れて行って  イエスを信じるようになったからである。(ヨハ12:10-11)  離れて行ってとあることから、それまでは祭司長たちに同意していて  一緒になってイエスに反対していたと思われる。  それが祭司長たちから離れて行って、イエスを信じるようになった  反対者をもイエスに向かわせたほどの、大きな出来事だった  ラザロがそこにいるだけで、イエスにある人を死から生き返らせる  復活の力が証明されてしまっていたので、祭司長たちはうろたえた
2.弟子たちが信じるようになるための奇蹟だった
@弟子たちは実際にラザロに対する奇蹟を目撃した
 ラザロの復活は、弟子たちに対しても大きなインパクトを与えた  弟子たちの信仰は確実にレベルアップした  死んで4日経っても生き返らせることができるんだ!  イエスはラザロが死んだ後でそこに行って、ラザロを生き返らせることで  弟子たちの信仰を、レベルアップさせようとされた  あなたがたが信じるようになるためである(11:15)  そしてこれから起こるであろう十字架と復活に、備えさせようとされていた
Aマルタを悲観から解放し信仰がレベルアップ
 弟子たちだけでなく、マルタとマリアも多大なインパクトを受け取った  「主よ、もしここにいてくださいましたらわたしの兄弟は  死ななかったでしょうに。」  マルタは、絶望と悲しみのどん底に突き落とされていた  ラザロが息を引き取った時、どんな思いだっただろうか?  ラザロを墓に入れる時、どんな思いだっただろうか?  なぜ、ラザロは死んでしまったのか?  なぜ、イエスは来て下さらなかったのだろうか?  なぜ連絡しているのに、イエスの来るのがこんなに遅いのだろうか?  悲観と絶望、イエスに対する疑問が渦巻いていたことだろう。  それはイエスの言葉によって、解決へと導かれて行った。  最後のとどめが「ラザロ、出てきなさい」  「何で!何で布で巻かれたまま歩いてるの!」初めは驚き  「布の下はどうなってるの?」恐れたことだろう  しかし布の下から元気なラザロが出てきた時、恐れは喜びに変わったはず  死んでいたラザロが生き返った!  癒しよりすごい! そうか!いてくださらなくて良かったのか!  恐れに満ちた驚きは、感謝と喜びに満ちた驚きに変わったことだろう!
Bマリアを悲しみから解放し信仰がレベルアップ
 マリアも悲しみの涙の中にいた  マリアは、イエスの足元にひれ伏して泣いていた  悲しみの極致を味わっていた  嘆きと悲しみは→喜びと感謝に変えられた  親族や家族は、より大きな悲しみと絶望に投げ込まれたが  その分他の人々よりも、大きな恵みを味わった  絶望と悲しみが、一瞬にして取り除かれるという未だかつてないほどの  大きな恵みを体験することができた
3.単にラザロが生き返っただけで終わっていない
@確かにラザロは解放され地上人生が延ばされた
 おそらくラザロは、まだ若く人生これからだったと考えられる  ラザロは生き返り、地上人生が延ばされた  ラザロがもし人生途中で死ななかったら、イエスの偉大な力が証しできなかった  ラザロが一旦死んで生き返ったからこそ、その後  ラザロ自身が、イエスの生き証人になった  彼が生きているだけで、イエスの偉大な力を証しすることになった
A弟子たちの信仰がレベルアップした
 イエスと共にいた弟子たちの信仰も、確実にレベルアップした  トマスはイエスが、死んだラザロの元に行こうといった時  「わたしたちも行って、一緒に死のうではないか」(11:16)  と、的外れのことを言っている  そんな的外れの見解は、ラザロの生き返りで見事に覆ってしまった  弟子だけでなく、マルタやマリアの信仰も成長させられた  イエスは、絶望のどん底から希望の絶頂へと変えて下さるお方だ!  ラザロの死からの解放は、弟子たちやマルタとマリアそして  主に従っていた人々にとって、これから起きる主の十字架と  その後の復活に対して備えるために、大いに必要なことだった
B多くのユダヤ人たちの救いにつながった
 ラザロの生き返りによって、それまで信じていなかったユダヤ人たちも大勢信じた  ラザロの生き返りの奇蹟は人々に救いをもたらした  ラザロの死からの解放は、人々のそれも反対者の救いへとつながっていた  イエスのなさる解放のわざは、多くの人々の救いへとつながっている  単に個人的な解放にとどまらず、関係する多くの人々に  素晴らしい影響を与え、最終的に大勢が救われ、神の栄光へとつながっている
むすび.ラザロの解放の奇蹟は人々の救いへ続いた
 ラザロの死からの解放はラザロの家族の喜びと  弟子たちの信仰成長、ユダヤ人たちの救いへ続いた  私たちは時として、墓の中に葬られたラザロのような  絶望的状況に、置かれるかもしれない  しかしそこにラザロを生き返らせた主の力が表されると  素晴らしいことが起こる!絶望的状況こそ、主が働かれるチャンスなのだ!