2022年3月6日  「不信仰からの解放」
          マタイによる福音書 17章14〜21節
1.信仰の薄いことで悪霊が追い出せなかった
@なぜ弟子たちにはできなかったか?
 イエスは「信仰が薄いからだ」と言われた  信仰と神の御業の間には密接なつながりがある  イエスは生まれ故郷ナザレでは業ができなかった
A信仰とは一体何か?
 望んでいる事を確信見えない事実を確認(ヘブ11:1)  神にはできる!今ダメでも必ず願うようになる!
B弟子たちにも父親にもこの信仰がなかった
 「これはもうダメだ」 弟子たちも、父親も (マルコ9)  過去できていても今回はダメだ!(マタイ10:8)
2.「これはダメだ」を進めさせるもの=人間的解決
@自分の力と方法で解決しますでは解決しない
 神に信頼しないで自分で解決してしまおう=NG  「私は自分の力で正しく生きてます」金持ちの青年
Aサラの例 (創世16:1,2)  逆に家庭内混乱
 神は子供をくださらない=不信仰 「もうダメだ」  それならハガルを側女にしてしまおう=人間的方法
Bイスカリオテのユダ 自分で自分を赦せなかった
 「自分は何という罪を犯してしまったんだ!」  自分で責任を取らないといけない→死  自分の力で自分をゆるそうと思ってもできない
3.祈りと断食によって解決する (マタイ17:21)
@祈りとは何か?
 祈り=神の力により頼むこと  自分でやるという姿勢→神により頼みますという姿勢  神のして下さる時を待つ→イサク誕生を待つべき
A断食をするとどうなるか?
 断食は命をつなぐ食物を断つこと→死に近づく  自分の力が弱くなる→自分に死ぬ→神だけに頼る
Bイエスの名を使う祈りには悪霊は退散する以外ない
 悪霊に対してイエスの名を使う(ルカ10:17)  イエスが悪霊を追い出したように追い出すことが可能
むすび.「これはもうダメだ」という不信仰を捨てる
 十字架の後の弟子たち「これはもうダメだ」という鎖に  縛られた。私達の失敗の原因もここに。復活がある!  「これはもうダメだ」を捨てる→不信仰からの解放  東日本大震災の時も「もうダメだ」と思ったが今がある