1.信仰の薄いことで悪霊が追い出せなかった
@なぜ弟子たちにはできなかったか?
イエスは「信仰が薄いからだ」と言われた
信仰と神の御業の間には密接なつながりがある
イエスは生まれ故郷ナザレでは業ができなかった
A信仰とは一体何か?
望んでいる事を確信見えない事実を確認(ヘブ11:1)
神にはできる!今ダメでも必ず願うようになる!
B弟子たちにも父親にもこの信仰がなかった
「これはもうダメだ」 弟子たちも、父親も (マルコ9)
過去できていても今回はダメだ!(マタイ10:8)
2.「これはダメだ」を進めさせるもの=人間的解決
@自分の力と方法で解決しますでは解決しない
神に信頼しないで自分で解決してしまおう=NG
「私は自分の力で正しく生きてます」金持ちの青年
Aサラの例 (創世16:1,2) 逆に家庭内混乱
神は子供をくださらない=不信仰 「もうダメだ」
それならハガルを側女にしてしまおう=人間的方法
Bイスカリオテのユダ 自分で自分を赦せなかった
「自分は何という罪を犯してしまったんだ!」
自分で責任を取らないといけない→死
自分の力で自分をゆるそうと思ってもできない
3.祈りと断食によって解決する (マタイ17:21)
@祈りとは何か?
祈り=神の力により頼むこと
自分でやるという姿勢→神により頼みますという姿勢
神のして下さる時を待つ→イサク誕生を待つべき
A断食をするとどうなるか?
断食は命をつなぐ食物を断つこと→死に近づく
自分の力が弱くなる→自分に死ぬ→神だけに頼る
Bイエスの名を使う祈りには悪霊は退散する以外ない
悪霊に対してイエスの名を使う(ルカ10:17)
イエスが悪霊を追い出したように追い出すことが可能
むすび.「これはもうダメだ」という不信仰を捨てる
十字架の後の弟子たち「これはもうダメだ」という鎖に
縛られた。私達の失敗の原因もここに。復活がある!
「これはもうダメだ」を捨てる→不信仰からの解放
東日本大震災の時も「もうダメだ」と思ったが今がある