2022年2月13日  「38年間の病からの解放」
          ヨハネによる福音書 5章1〜9節
1.ベトザタの池の38年病気の人を縛っていた鎖は?
@彼は池の回廊で病気で横になっていて動けなかった 〜鎖1:これさえなければ〜
 どこにも行けない、何もできずにただ横になるだけ  病さえなければ動けて働けて普通に生活できるのに  彼は「これさえなければという鎖」に縛られていた  病気でさえなければ、もっと良い人生だったのに!  病気さえなければ、という思いに縛られた人生
A周りも病人,盲人,足の不自由な人,麻痺した人たち 〜鎖2:皆と同じで治らない〜
 なぜベトザタに居たのか? →医者が治せないから  普通では治らないから、ベトザタの池に来るしかなかった  そんな治らない病人に囲まれ、毎日病気の人ばかり見ていた。    周りの病人たちは、池に入れずに治らないまま。  「自分も皆と同じで治らないんだという鎖」に縛られていた  真っ先に池に入れないから治らない。ここにいるみんなが、そうだ!
B大勢の病人は互いに相手をけん制し合っていた 〜鎖3:誰よりも私が先に〜
 同じように病気の人ばかりだが、けん制し合う状況  「池の水が動いたら、自分が誰よりも早く池に入るんだ」  「この人にもあの人にも、先を越されてはならない」  隣人を助けるのでなく誰よりも私!  =「誰よりも私がという自己中心の鎖」に縛られていた  私よりも先に池の中に入らないでほしい。
2.彼の心を縛り付けていた最大の鎖は「絶望の鎖」
@過去の状況:病気の期間が38年という長期間だった
 1年間の入院でも辛い。しかし彼は過去38年もの間、病いの中  そのうち治るだろうでなく →時が経っても回復しない  「このままでは一生治ることはないだろう」→絶望
A現在の状況:池に入るしか回復する方法はないのに入れない
 たった一つの望み=水が動く時真先に池に入る事  「それしかこの状況から解放される道はない」しかし…  入れてくれる人がいない →もう治らない →絶望
B周囲の状況:周囲の病人たちを毎日見て過ごしてた
 自分だけでなく周囲の皆も同じ様に治らないまま  池に真先に入れない者はみんな治らないんだ →絶望
3.イエスは38年間病気だった人を根本的に解放した
@イエスは彼の表面的な願いでなく本質的願いに応じた
 彼の願いは「水が動く時に入れて欲しい」という願い  イエスの言葉は「起き上がり床を担いで歩きなさい」  池の水ではなく、イエスこそがいやしをもたらすお方だった
Aイエスの方から近づいて行かれ声をかけられた
 多くの場合病人の方からイエスに近づいている  彼はイエスに癒しを求めていない=イエスを知らない  イエスが近づかなければわかり得ない状況だった
Bイエスは彼を一瞬で癒して絶望の鎖から解き放った
 過去縛られた期間がどんなに長くても関係なかった  本人の意思を尊重する「良くなりたいか?」という言葉を  愛をもって語りかけ、「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」と語って解放した  この人は、もはや池の水を注視し続ける必要がなくなった  「この病気さえなければ」という思いからも  「みんなが治らないから自分も治らない」という思いからも  「ほかの人よりも自分が先に池に入らなければ」という思いからも解放された  もはやベトザタにいる必要もなくなった  絶望は消え去って、自由にされた  イエスは彼を絶望の鎖から、完全に解き放った!
むすび.主イエスは絶望から完全に解放して下さる
 過去や現在や周囲の状況に関係なく、イエスは完全に癒し解放して下さる  38年間病気だった人は、池の水を見続けていたが、そこに解決はなかった  根本的解決は、イエスが与えてくださった。イエス以外に完全な解決はなかった  「イエスを無視して、イエス以外の解決を一生懸命求める」ことには、  真の解決、根本的な解決がない。真の解決、根本的な解決はイエスが与えて下さる。  イエスによる根本的な解放を求めよう!  イエスの解放は、単なる癒しで終わらない 「魂と霊に及ぶ根本的な解放」だから、私たちをまったく自由にしてくれる  イエスによる解放と自由を受け取ろう!