1.ベトザタの池の38年病気の人を縛っていた鎖は?@彼は池の回廊で病気で横になっていて動けなかった 〜鎖1:これさえなければ〜どこにも行けない、何もできずにただ横になるだけ 病さえなければ動けて働けて普通に生活できるのに 彼は「これさえなければという鎖」に縛られていた 病気でさえなければ、もっと良い人生だったのに! 病気さえなければ、という思いに縛られた人生A周りも病人,盲人,足の不自由な人,麻痺した人たち 〜鎖2:皆と同じで治らない〜なぜベトザタに居たのか? →医者が治せないから 普通では治らないから、ベトザタの池に来るしかなかった そんな治らない病人に囲まれ、毎日病気の人ばかり見ていた。 周りの病人たちは、池に入れずに治らないまま。 「自分も皆と同じで治らないんだという鎖」に縛られていた 真っ先に池に入れないから治らない。ここにいるみんなが、そうだ!B大勢の病人は互いに相手をけん制し合っていた 〜鎖3:誰よりも私が先に〜同じように病気の人ばかりだが、けん制し合う状況 「池の水が動いたら、自分が誰よりも早く池に入るんだ」 「この人にもあの人にも、先を越されてはならない」 隣人を助けるのでなく誰よりも私! =「誰よりも私がという自己中心の鎖」に縛られていた 私よりも先に池の中に入らないでほしい。2.彼の心を縛り付けていた最大の鎖は「絶望の鎖」@過去の状況:病気の期間が38年という長期間だった1年間の入院でも辛い。しかし彼は過去38年もの間、病いの中 そのうち治るだろうでなく →時が経っても回復しない 「このままでは一生治ることはないだろう」→絶望A現在の状況:池に入るしか回復する方法はないのに入れないたった一つの望み=水が動く時真先に池に入る事 「それしかこの状況から解放される道はない」しかし… 入れてくれる人がいない →もう治らない →絶望B周囲の状況:周囲の病人たちを毎日見て過ごしてた自分だけでなく周囲の皆も同じ様に治らないまま 池に真先に入れない者はみんな治らないんだ →絶望3.イエスは38年間病気だった人を根本的に解放した@イエスは彼の表面的な願いでなく本質的願いに応じた彼の願いは「水が動く時に入れて欲しい」という願い イエスの言葉は「起き上がり床を担いで歩きなさい」 池の水ではなく、イエスこそがいやしをもたらすお方だったAイエスの方から近づいて行かれ声をかけられた多くの場合病人の方からイエスに近づいている 彼はイエスに癒しを求めていない=イエスを知らない イエスが近づかなければわかり得ない状況だったBイエスは彼を一瞬で癒して絶望の鎖から解き放った過去縛られた期間がどんなに長くても関係なかった 本人の意思を尊重する「良くなりたいか?」という言葉を 愛をもって語りかけ、「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」と語って解放した この人は、もはや池の水を注視し続ける必要がなくなった 「この病気さえなければ」という思いからも 「みんなが治らないから自分も治らない」という思いからも 「ほかの人よりも自分が先に池に入らなければ」という思いからも解放された もはやベトザタにいる必要もなくなった 絶望は消え去って、自由にされた イエスは彼を絶望の鎖から、完全に解き放った!むすび.主イエスは絶望から完全に解放して下さる過去や現在や周囲の状況に関係なく、イエスは完全に癒し解放して下さる 38年間病気だった人は、池の水を見続けていたが、そこに解決はなかった 根本的解決は、イエスが与えてくださった。イエス以外に完全な解決はなかった 「イエスを無視して、イエス以外の解決を一生懸命求める」ことには、 真の解決、根本的な解決がない。真の解決、根本的な解決はイエスが与えて下さる。 イエスによる根本的な解放を求めよう! イエスの解放は、単なる癒しで終わらない 「魂と霊に及ぶ根本的な解放」だから、私たちをまったく自由にしてくれる イエスによる解放と自由を受け取ろう!