1.死の恐怖 〜なぜ死ぬのが怖いのか?〜@神は見ておられる神がおられ、私のすべてをしっかり見ておられる 神の目はどこにでもあり隠れたことを見ておられる 私たちの良い所も悪い所も善も罪もすべて神の目に明らか 更に、神の御前では隠れた被造物は一つもなく、 すべてのものが神の目には裸であり、さらけ出されているのです。 この神に対して、わたしたちは自分のことを申し述べねばなりません。(ヘブ4:13)A罪がそのままなら死後神に裁かれる神には一切の妥協はない。少しの悪も見逃されない。 私たちの内にある罪は、神には決して受容できないもの もし罪がそのままならば... 地獄で消えない火で永遠に焼かれ続けることになるB死後の裁きがあるから怖い地獄は元々悪魔のためのもの二度と出て来れない そして彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄の池に投げ込まれた。 そこにはあの獣と偽預言者がいる。そして、この者どもは 昼も夜も世々限りなく責めさいなまれる。(黙示20:10) 人は生まれたままの罪のままでは大変なことになる 罪が正しく裁かれることになり、地獄で悪魔と共に消えない火で滅ぼされてしまう わたしはまた、大きな白い玉座と、そこに座っておられる方とを見た。 天も地も、その御前から逃げて行き、行方が分からなくなった。 わたしはまた、死者たちが、大きな者も小さな者も、 玉座の前に立っているのを見た。幾つかの書物が開かれたが、 もう一つの書物も開かれた。それは命の書である。 死者たちは、これらの書物に書かれていることに基づき、彼らの行いに応じて裁かれた。 海は、その中にいた死者を外に出した。 死と陰府も、その中にいた死者を出し、彼らはそれぞれ自分の行いに応じて裁かれた。 死も陰府も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。 その名が命の書に記されていない者は、火の池に投げ込まれた。(黙示20:11-15) それを潜在的に知っているから死ぬのが怖ろしい 人間にはただ一度死ぬことと、 その後に裁きを受けることが定まっている(ヘブ9:27抜粋)2.イエス・キリストは死を司っている悪魔を滅ぼした@死を司っているのは悪魔 → 人を罪に陥れ滅ぼすそもそも人は悪魔の誘惑に負けてしまって罪を犯し そこから死ぬようになった 悪魔の誘惑 → 人の敗北 → 人の罪 → 人の死 → 人も悪魔も永遠の滅び 元々神に造られた初めは、人に罪はなくはなはだ良かった 罪は初めの人間アダムの意志によって入り込んでしまった そこから死が入り込んでしまった 一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、 死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです。(ロマ5:12) 悪魔の誘惑によって人に死がもたらされることになった その死は肉体の死と地獄における永遠の死の両方の死 地獄における永遠の死のことを第二の死という 死も陰府も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。(黙示20:14)Aイエスが十字架で死なれたから悪魔は滅びる人の罪を負ってイエスが死に → 人を赦し → 人に永遠の命が与えられた イエスは悪魔に完全に勝利 → 私たちを罪から解放 悪魔は敗北→やがて永遠の火の中に投げ込まれる 悪魔の誘惑 → 人の敗北 → 人の罪 → イエスが罪を負って十字架で死 → イエスの勝利 → 悪魔の敗北 → 信じる人に永遠の命Bイエスを信じればイエスのように復活し永遠に生きる罪のため死なねばならなかったがその罪が赦された 悪魔のもたらした死から解放され怖れが消え去った イエスによって人は死から命へ移された 肉体は死んでも、そのあと永遠に生きるようになった3.たとえ死んでも生きるのなら今をどう生きるか?@死の向こうにある天国を目指して生きる罪の赦しを信じたなら、死後の裁きを恐れなくてよい 死は恐れるものではなく天国への通過点に過ぎない 永遠の住居は地上にはなく天にある → そこを目指す 死ぬまでの人生の幸福を求めるのではなく 死の向こうにある天国を目指して生きる 死で終わらないことを喜んでその先を目指すAこの世の快楽を求めず天の神を求めるたとえこの世界で報われなくてもかまわない 天における永遠の報いの方がどれほど素晴らしいか 欲に生きず金や長寿を追求せず天の報いを目指す この世の富は一時的であって天国とは無関係 = 虚しい 富の追求ではなく、神を追及して生きる どこまでも神を求める生き方B神に与えられた自分の使命に生きる各人に神からの使命が与えられている → それが天で報いとなって返ってくる 悪魔は私たちにその使命を果たせないように攻撃してくる 私たちは自分の使命を取り戻しその使命に生きる イエスを信じて神に立ち返るとその使命が見えて来る 祈りの中で神は使命を教えて下さる ペトロは初代教会のリーダー、パウロは異邦人伝道という使命 私たちは今の時代に神の使命に生きるように生かされている ただ無目的に生かされているのではなく、神の目的が各人にある 神の使命に生きよ!むすび.死の向こうにある天を目指せ!イエスを信じれば罪の赦しと永遠の赦しを神から頂く 永遠に赦されたら天における永遠の命が待っている もはや死を恐れずにその先の天国を目指して生きる人生 世の人は死を恐れて生きている クリスチャンは死を恐れずに死の恐れから解放されて生きている 私たちは死を恐れずに死の向こうにある天を目指して生きていく