2022年1月30日  「死の恐怖からの解放」
          ヘブライ人への手紙 2章14〜15節
1.死の恐怖 〜なぜ死ぬのが怖いのか?〜
@神は見ておられる
 神がおられ、私のすべてをしっかり見ておられる  神の目はどこにでもあり隠れたことを見ておられる  私たちの良い所も悪い所も善も罪もすべて神の目に明らか  更に、神の御前では隠れた被造物は一つもなく、  すべてのものが神の目には裸であり、さらけ出されているのです。  この神に対して、わたしたちは自分のことを申し述べねばなりません。(ヘブ4:13)
A罪がそのままなら死後神に裁かれる
 神には一切の妥協はない。少しの悪も見逃されない。  私たちの内にある罪は、神には決して受容できないもの  もし罪がそのままならば...  地獄で消えない火で永遠に焼かれ続けることになる
B死後の裁きがあるから怖い
 地獄は元々悪魔のためのもの二度と出て来れない  そして彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄の池に投げ込まれた。  そこにはあの獣と偽預言者がいる。そして、この者どもは  昼も夜も世々限りなく責めさいなまれる。(黙示20:10)  人は生まれたままの罪のままでは大変なことになる  罪が正しく裁かれることになり、地獄で悪魔と共に消えない火で滅ぼされてしまう  わたしはまた、大きな白い玉座と、そこに座っておられる方とを見た。  天も地も、その御前から逃げて行き、行方が分からなくなった。  わたしはまた、死者たちが、大きな者も小さな者も、  玉座の前に立っているのを見た。幾つかの書物が開かれたが、  もう一つの書物も開かれた。それは命の書である。  死者たちは、これらの書物に書かれていることに基づき、彼らの行いに応じて裁かれた。  海は、その中にいた死者を外に出した。  死と陰府も、その中にいた死者を出し、彼らはそれぞれ自分の行いに応じて裁かれた。  死も陰府も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。  その名が命の書に記されていない者は、火の池に投げ込まれた。(黙示20:11-15)  それを潜在的に知っているから死ぬのが怖ろしい  人間にはただ一度死ぬことと、  その後に裁きを受けることが定まっている(ヘブ9:27抜粋)
2.イエス・キリストは死を司っている悪魔を滅ぼした
@死を司っているのは悪魔 → 人を罪に陥れ滅ぼす
 そもそも人は悪魔の誘惑に負けてしまって罪を犯し  そこから死ぬようになった   悪魔の誘惑 → 人の敗北 → 人の罪 → 人の死 → 人も悪魔も永遠の滅び  元々神に造られた初めは、人に罪はなくはなはだ良かった  罪は初めの人間アダムの意志によって入り込んでしまった  そこから死が入り込んでしまった  一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、  死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです。(ロマ5:12)  悪魔の誘惑によって人に死がもたらされることになった  その死は肉体の死と地獄における永遠の死の両方の死  地獄における永遠の死のことを第二の死という  死も陰府も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。(黙示20:14)
Aイエスが十字架で死なれたから悪魔は滅びる
 人の罪を負ってイエスが死に → 人を赦し → 人に永遠の命が与えられた  イエスは悪魔に完全に勝利 → 私たちを罪から解放  悪魔は敗北→やがて永遠の火の中に投げ込まれる   悪魔の誘惑 → 人の敗北 → 人の罪 → イエスが罪を負って十字架で死   → イエスの勝利 → 悪魔の敗北 → 信じる人に永遠の命
Bイエスを信じればイエスのように復活し永遠に生きる
 罪のため死なねばならなかったがその罪が赦された  悪魔のもたらした死から解放され怖れが消え去った  イエスによって人は死から命へ移された   肉体は死んでも、そのあと永遠に生きるようになった  
3.たとえ死んでも生きるのなら今をどう生きるか?
@死の向こうにある天国を目指して生きる
 罪の赦しを信じたなら、死後の裁きを恐れなくてよい  死は恐れるものではなく天国への通過点に過ぎない  永遠の住居は地上にはなく天にある → そこを目指す  死ぬまでの人生の幸福を求めるのではなく  死の向こうにある天国を目指して生きる  死で終わらないことを喜んでその先を目指す
Aこの世の快楽を求めず天の神を求める
 たとえこの世界で報われなくてもかまわない  天における永遠の報いの方がどれほど素晴らしいか  欲に生きず金や長寿を追求せず天の報いを目指す  この世の富は一時的であって天国とは無関係 = 虚しい  富の追求ではなく、神を追及して生きる  どこまでも神を求める生き方
B神に与えられた自分の使命に生きる
 各人に神からの使命が与えられている → それが天で報いとなって返ってくる  悪魔は私たちにその使命を果たせないように攻撃してくる  私たちは自分の使命を取り戻しその使命に生きる  イエスを信じて神に立ち返るとその使命が見えて来る  祈りの中で神は使命を教えて下さる  ペトロは初代教会のリーダー、パウロは異邦人伝道という使命  私たちは今の時代に神の使命に生きるように生かされている  ただ無目的に生かされているのではなく、神の目的が各人にある  神の使命に生きよ!
むすび.死の向こうにある天を目指せ!
 イエスを信じれば罪の赦しと永遠の赦しを神から頂く  永遠に赦されたら天における永遠の命が待っている  もはや死を恐れずにその先の天国を目指して生きる人生    世の人は死を恐れて生きている  クリスチャンは死を恐れずに死の恐れから解放されて生きている  私たちは死を恐れずに死の向こうにある天を目指して生きていく