はじめに.アダムとエバの罪から始まったエデンでアダムとエバが罪を犯してしまった時、それは彼らの全子孫に対して 罪をもたらすことになってしまった。 ひとりの例外なく、すべての人間が神から離れるという 罪をもって生まれることになってしまった。全人類の罪が、そこから始まった。 人間は、罪をもたずに生まれてくることができなくなってしまった。 ここから人間世界の、すべての悪が始まった。 神から離れた人間は、様々な悪を考え行うようになってしまった。1.神の知恵の結晶である「イエス・キリストの贖い」@正義の神は罪人である人間の罪を容認できない神は正義の方。したがって、神が悪や罪を受け入れることは一切あり得ない。 神は悪を確実に滅ぼされる。そのために永遠の火がある。 諸悪の根源は悪魔であるが、その悪魔を滅ぼすために永遠の炎が用意された。 しかし人間も悪魔の誘惑によって罪を犯してしまったので、 すべての人が生まれながらの、罪人になってしまった。 その結果、人間も永遠の炎に投げ込まれる定めになってしまった。 神は罪を持つ人間全員を、その正義によって裁いて、滅ぼさざるを得なくなってしまった。A愛なる神は罪人である人間を滅ぼしたくなかった神が愛するために作った人間なのに、その人間をすべて滅ぼさなければならなくなった。 しかし神は愛である。 たとえ、生まれながらにして罪人であってもその人を愛している 罪人を裁き滅ぼさねばならないのだが、神は愛ゆえ裁かずに生かしたいと願われた。B相反する事象を同時に可能にするキリストの十字架罪人である人間の罪は罪として、正しく裁きながらも、 その人を滅ぼさないために、どうすればよいか? 罪のない方が身代わりに、人間の罪の罰を受けるようにすれば良い。 血を流すことなしには、罪のゆるしはあり得ない。(ヘブ9:22) 人の体中のすべての血が流されて初めて、罪はゆるされる。 しかし、すべての血が流されてしまったら、罪がゆるされる前に死んでしまう。 誰か罪のない方が、代わりに血を流せばその罪人は死なずにゆるされる。 神はそれをなしてくださった。神のひとり子イエスを世に遣わし、 人間の罪のために、身代わりになって十字架で血潮を流すようにしてくださった。 イエスはそのように、十字架で血潮を流し切って身代わりに死んでくださった。 神は、イエスの十字架の贖いを信じて受け取れば、罪が赦されるようにしてくださった。 救い主イエスの十字架上での贖いこそ、神の知恵2.律法学者たちの知恵は救い主を拒絶してしまった@聖書には救い主の預言が明確に記されていた神の言葉である聖書には、この大事な神からの救い主イエス・キリストのことが イエス降誕のはるか前から、予告されていた。 極めて大切なことゆえ、神は前もって救い主イエスの降誕以前に、 その予告をしておられた。 降誕の預言 (ミカ5:1,イザ9:1-7) 十字架の預言(イザ53:1-,詩22:) 復活の預言(詩16:10,ヨナ)A律法学者は聖書に精通した知者のはずだった律法学者たちは、聖書をしっかりと学んでいた聖書のプロだった。 当然メシア(救い主)預言も熟知していた(マタ2:5) → 誕生場所を聞かれてすぐに「ベツレヘム」と答えている → メシアの前にエリヤが来る(マタ17:10) → 愛はどんな献げ物よりも重要(マル12:32-33)B律法学者は救い主を正しく理解できてなかったイエスはベツレヘムでなくナザレ出身者だ! 実はベツレヘムで誕生していた(ルカ2:4) 救い主は王の王のはず!ダビデの血統(イザ9:6) → 王として人々を異邦人の国ローマ帝国の支配から解放してくれるはず! イエスは言い伝えを守っていない() イエスは安息日を破っている! → 畑で麦の穂を摘んで食べている(ルカ6:1-5) → 安息日に病気を治している(ルカ13:10-16,14:1-5) ベトザタで38年間病気だった人が癒されたのも(ヨハ5:1-16) イエスは自分を神と等しいものとしている(ヨハ5:17-18) イエスは神を冒涜する異端者(マタ9:2-3,ヨハ10:33)3.律法学者たちの知恵には限界があった@律法学者たちは律法の本質を外して理解していたなぜ律法学者たちは、イエスがメシア(救い主)であると理解できなかったか? 律法学者たちは律法の本質を外して理解していた 本質を理解して実行するのではなく、戒めそのものの表面的な実行を徹底していた 律法学者たちは、昔の人の言い伝えという伝統を重んじ、 律法を台無しにしていた。(マル7:9) 律法の本質は「神の愛」であり「神と人への愛」だった イエスは安息日を破っていたのではなかった! 逆に律法の本質である神の愛を示していた!A律法学者は自分の無理解を認識できていなかった律法学者たちは自分の考えこそが正しいと思った 真のメシアであるイエスを誤解し異端者と決めつけた 結局神を冒涜する不届き者として十字架で殺したB本来は無知を認めてキリストを待たねばならなかった律法学者たちは、不完全な自分の知恵で判断し主を排斥してしまった 実は自分で思っているほど、賢くはなかった 本来は、自分の無知を認めてキリストを待たねばならなかったむすび.自分を低くして神の知恵キリストの再臨を待つキリスト降誕は賢い律法学者たちにではなく、羊飼いや東方の博士たちに知らされた。 律法学者たちは、主の降誕の知らせを博士から聞いたが、 ベツレヘムに行って礼拝することはなかった 異邦人の博士たちの言うことに、信憑性があるはずもないという先入観があったのか 私たちは再臨の主イエスを待ち望んでいる 律法学者たちのような「自分は知者だ」という姿勢で、待っていてはならない 彼らに必要だったのは私は賢くないという認識 私たちもへりくだって、主の再臨を待ち望もう(1コリ1:27)