1.イエスは再び戻ってこられる@イエスは、どのように来られるのか?イエスの再臨は、約束されている確かなこと それでは、再臨はどのように起きるのだろうか? イエスは「天に行かれたのと同じ有様で」来られる A.目に見える姿、B.雲に覆われ、C.天から降りてこられるA再臨の間違った認識×目に見えない姿で、来られる=誰にもわからない ×どこかで、ひそかに現れる=一部の人だけがわかる ×母の胎内から、再び生まれる=降誕時のようにB再臨の正しい認識〇目に見える姿で、来られる=誰もが認識可能 〇世界中のみんなが、わかるように現れる 〇昇天した時と同じ、大人の姿で現れる2.イエスを、どのように待っていればよいのか?@再臨の時まで私を導かれる聖霊に従って生きる現在、イエスは肉体の姿で地上にはおられない その代わりに聖霊が助け主として私たちに与えられた 目に見えない聖霊が私たちを正しく導いて下さる 聖霊に従って生きることが、イエスの再臨を待ち望む生き方 自分のやりたいことを行う生き方ではなく、聖霊に従った生き方 聖霊に従って生きる生き方で、イエスの再臨を待ち望むAパウロの伝道旅行でも聖霊が導いておられたパウロの生き方も、常に聖霊に従う生き方だった 宣教開始時も、トロアスに向かった時も聖霊の導きによるものだった パウロの生き方は、模範になるBイエス降誕前の律法学者たちは聖霊なしの理解それに対して、イエス降誕前の律法学者たちには、聖霊が下っていなかった 彼らは、救い主の降誕場所が「ベツレヘム」であるということは正しく理解していた しかし、自分たちの言い伝えで神の律法を曲げてしまい 自分勝手な解釈で、聖書を理解したつもりになっていた 結局救い主が来られたのに、拒んでしまうことになった イエス・キリストを十字架にかけて、殺してしまった 人間の知恵だけでは、聖書をいくら学んでも限界があるといえる3.どのように聖霊に導かれるか?@生活のすべての面で自分の思いや慣習を脇に置くパウロもビティニアに行こうという思いを脇に置いた ダマスコのアナニアも「サウロは危険人物」という思いを脇に置いた 自分の思いが先行すると神の導きから外れてしまう 自分の知恵に頼ることは、聖霊の導きを退けることになる 律法学者達と同じ道を歩むことになってしまう 聖霊の導きに従うためには、自分の思いをまず脇に置くことから始めるA毎日聖書を読む生活を続ける神の御心は聖書に明確に記されている 聖書を日々読んで心の中に蓄える 聖霊が働いて聖書を理解させて下さるB毎日祈って神に聴く生活を続ける祈りの中で神に聴く習慣を身に着ける 聖霊の細い御声を聴きながら、生活していくむすび.聖霊によって生きることが再臨の一番の備え聖霊に導かれる生活をしていれば、いつイエスが来られようとも大丈夫! 聖霊の油を絶やさずにいよう!聖霊の油で心を満杯にしよう!