2021年11月28日  「主イエスは同じ有様でまたおいでになる」
          使徒言行録 1章10〜11節
1.イエスは再び戻ってこられる
@イエスは、どのように来られるのか?
 イエスの再臨は、約束されている確かなこと  それでは、再臨はどのように起きるのだろうか?  イエスは「天に行かれたのと同じ有様で」来られる  A.目に見える姿、B.雲に覆われ、C.天から降りてこられる
A再臨の間違った認識
 ×目に見えない姿で、来られる=誰にもわからない  ×どこかで、ひそかに現れる=一部の人だけがわかる  ×母の胎内から、再び生まれる=降誕時のように
B再臨の正しい認識
 〇目に見える姿で、来られる=誰もが認識可能  〇世界中のみんなが、わかるように現れる  〇昇天した時と同じ、大人の姿で現れる 
2.イエスを、どのように待っていればよいのか?
@再臨の時まで私を導かれる聖霊に従って生きる
 現在、イエスは肉体の姿で地上にはおられない  その代わりに聖霊が助け主として私たちに与えられた  目に見えない聖霊が私たちを正しく導いて下さる  聖霊に従って生きることが、イエスの再臨を待ち望む生き方  自分のやりたいことを行う生き方ではなく、聖霊に従った生き方  聖霊に従って生きる生き方で、イエスの再臨を待ち望む
Aパウロの伝道旅行でも聖霊が導いておられた
 パウロの生き方も、常に聖霊に従う生き方だった  宣教開始時も、トロアスに向かった時も聖霊の導きによるものだった  パウロの生き方は、模範になる
Bイエス降誕前の律法学者たちは聖霊なしの理解
 それに対して、イエス降誕前の律法学者たちには、聖霊が下っていなかった  彼らは、救い主の降誕場所が「ベツレヘム」であるということは正しく理解していた  しかし、自分たちの言い伝えで神の律法を曲げてしまい  自分勝手な解釈で、聖書を理解したつもりになっていた  結局救い主が来られたのに、拒んでしまうことになった  イエス・キリストを十字架にかけて、殺してしまった  人間の知恵だけでは、聖書をいくら学んでも限界があるといえる
3.どのように聖霊に導かれるか?
@生活のすべての面で自分の思いや慣習を脇に置く
 パウロもビティニアに行こうという思いを脇に置いた  ダマスコのアナニアも「サウロは危険人物」という思いを脇に置いた  自分の思いが先行すると神の導きから外れてしまう  自分の知恵に頼ることは、聖霊の導きを退けることになる  律法学者達と同じ道を歩むことになってしまう  聖霊の導きに従うためには、自分の思いをまず脇に置くことから始める
A毎日聖書を読む生活を続ける
 神の御心は聖書に明確に記されている  聖書を日々読んで心の中に蓄える  聖霊が働いて聖書を理解させて下さる
B毎日祈って神に聴く生活を続ける
 祈りの中で神に聴く習慣を身に着ける  聖霊の細い御声を聴きながら、生活していく
むすび.聖霊によって生きることが再臨の一番の備え
 聖霊に導かれる生活をしていれば、いつイエスが来られようとも大丈夫!  聖霊の油を絶やさずにいよう!聖霊の油で心を満杯にしよう!