2021年11月21日  「献金による神殿修復完了」
          歴代志下 24章1〜14節
1.ヨアシュ王は神殿修復に意欲を示した
@南王国はアタルヤが異教を持ち込みひどい状況
 イゼベルの娘アタルヤ→アタルヤの子アハズヤ→アハズヤの子ヨアシュ  イゼベル:シドン人の王エトバアルの娘       北王国のアハブと結婚し、北王国にバアル教を持込む       バアル神殿をサマリアに建てた  イゼベルの娘アタルヤは、南王国のヨラム王と結婚   →アタルヤが悪い勧めを、その子アハズヤに及ぼす   →アハズヤ王はアハブの道を歩んだ
A祭司ヨヤダがアタルヤを退けバアル神殿を破壊(23:17)
 祭司ヨヤダはアタルヤから国の支配権を取り戻した   →アハズヤの母アタルヤは息子の死んだのを見て、    直ちにユダの家の王族をすべて滅ぼそうとした(22:10)    アタルヤは、アハズヤの子らを殺し6年間支配  ヨアシュが7歳で王になる→祭司ヨヤダが大きな影響力   アハズヤの妹である、ヨラム王の娘ヨシェバは、   1歳のヨアシュをアタルヤからかくまい、彼は殺されずに済んでいた。   祭司ヨヤダが決起して、アタルヤを退けヨアシュが7歳の時彼を王とした。  王の妻も祭司ヨヤダが決める程、ヨヤダの影響力は多大なものがあった (24:3)   →ヨアシュ王の主に従う正しい行動につながっていた
Bヨアシュ王は神殿修復に意欲を示した (24:4)
 神殿は、アタルヤとその子らによって損なわれていた  神殿の聖なるものが、偶像バアルのものになっていた (7)  ヨアシュ王は、自発的に神殿修復をしようと考えた(6)
2.ヨアシュ王の命令によって神殿は無事修復された
@王の修復資金収集命令は放置され答えられなかった
 王は祭司とレビ人を集めて「ユダの町々に行って、神殿を毎年修理するため、  すべてのイスラエル人から資金を集めよ。速やかに取りかかれ。」と命じた。(5)  しかし、レビ人たちは速やかに取りかからなかった。王の命令にもかかわらず放置。(5)  王は、祭司長ヨヤダに「なぜあなたはレビ人に要求し、  モーセが定めた税を徴収しないのか。」と問い詰めた。(6)  王の命令が軽んじられている。  なぜ祭司長も祭司たちもレビ人も、速やかに取り掛からなかったのだろう?  資金徴収に民が反感を抱くのではないだろうか?という恐れや懸念があったのか?  神殿修復よりも優先していたことがあったのだろうか?  やらなければいけないとは思いつつも、まだ先でいいという先延ばしの意識か?  いずれにせよ、資金調達にそれほど乗り気でなかったことが伺える。  祭司ヨヤダにとってヨアシュ王は、子供のころから自分が指導してきた。  言ってみれば、自分の子供のような存在。目下的な意識だったのかもしれない。  それまでヨヤダから言われた通りに、信仰においても結婚においても  従ってやってきたのに、ここにきて王自身が自発的に考えてやろうとしていたので、  ヨヤダは、積極的になれなかったのかもしれない。
Aヨアシュ王自らが動き献金が始められた
 命令が速やかに実行されなかったので、王自らが動いた。  王は箱を作らせ、神殿の門の外に置かせた(24:8)  「モーセが定めた税(出エ30:11-16)を納めよ!」(9)
B民は喜んで多くの献金を献げ神殿は修復完了
 高官も民も皆喜んで溢れるまで箱に投げ入れた(10)  王の神殿修復に理解を示しただけでなく喜んで献金。それが毎日繰り返された  ヨアシュ王以前は、アタルヤによるバアル教の影響があったにもかかわらず  この時は、皆が主に対して喜んで捧げている   十分な献げ物の結果、作業者がそれを受取り神殿は元の状態になった  それだけでなく、補強もなされている。前よりも良くなった(12-14)
3.ひとりではなく民全体の献げ物が功を奏している
@神殿の修理はヨアシュ王ひとりではできなかった
 神殿修復は、王ひとりでも工事作業者だけでもなく民全体の働きで修復された  民全体にモーセが定めた献金を募った  →皆が喜んで献げた結果神殿は修復された  もし一部の人であったら、修復できなかっただろう  神殿修復の意欲をもった王の心は、空回りすることなく  民全体にも、神殿修復のためにささげようという心が生じ  結果的に、民全体がひとつになって神殿が修復された。  はじめは祭司やレビ人たちが、速やかに行わなかったが  いざ始めると、早かった。どんどん資金が集まって見事に完了した。
A献金は自分のためではなく主のために献げられた
 この時の民の献金には、主の神殿のために自らを捧げる信仰が現れている  自分の幸福を求めるためなどではなく、神の神殿のために私を捧げますという献身の思い  主のために皆が一つになって捧げることで、大きな祝福がもたらされている  献金というのは、自分の願い事がきかれるために捧げるものではなく  主に自分自身をささげる思いを、具体的に表してささげるもの  自分の願いが聞かれるために、ではなかったにもかかわらず、  最終的に、主の祝福が自分に返ってきている
B王も祭司ヨヤダなしでは信仰を全うできなかった
 ヨアシュ王は神殿修復というミッションを、見事に成し遂げているが  最後まで主に従い通したわけではなく、信仰から外れてしまった  祭司ヨヤダの死後、アシェラと偶像に仕えてしまい神の怒りを招いてしまった  ひとりでは、神殿修復ができなかったのと同様、  ひとりで信仰を全うすることも、困難。  だから励まし合うことが重要になってくる→励まし合うことは必要不可欠
むすび.私たちもひとりではなく皆で励まし合う
 信仰生活は個人ではなく皆で励まし合って進むもの  集会を怠ったりせず、むしろ励まし合いましょう。  ますます励まし合おうではありませんか。(ヘブ10:25)  ひとりだけが、主に献げる思いでいるのではなく  すべての人が、主にささげる思いで集まって神を礼拝し  互いに励まし合う。そこに神の教会が建てあげられてゆく