1.ヨアシュ王は神殿修復に意欲を示した@南王国はアタルヤが異教を持ち込みひどい状況イゼベルの娘アタルヤ→アタルヤの子アハズヤ→アハズヤの子ヨアシュ イゼベル:シドン人の王エトバアルの娘 北王国のアハブと結婚し、北王国にバアル教を持込む バアル神殿をサマリアに建てた イゼベルの娘アタルヤは、南王国のヨラム王と結婚 →アタルヤが悪い勧めを、その子アハズヤに及ぼす →アハズヤ王はアハブの道を歩んだA祭司ヨヤダがアタルヤを退けバアル神殿を破壊(23:17)祭司ヨヤダはアタルヤから国の支配権を取り戻した →アハズヤの母アタルヤは息子の死んだのを見て、 直ちにユダの家の王族をすべて滅ぼそうとした(22:10) アタルヤは、アハズヤの子らを殺し6年間支配 ヨアシュが7歳で王になる→祭司ヨヤダが大きな影響力 アハズヤの妹である、ヨラム王の娘ヨシェバは、 1歳のヨアシュをアタルヤからかくまい、彼は殺されずに済んでいた。 祭司ヨヤダが決起して、アタルヤを退けヨアシュが7歳の時彼を王とした。 王の妻も祭司ヨヤダが決める程、ヨヤダの影響力は多大なものがあった (24:3) →ヨアシュ王の主に従う正しい行動につながっていたBヨアシュ王は神殿修復に意欲を示した (24:4)神殿は、アタルヤとその子らによって損なわれていた 神殿の聖なるものが、偶像バアルのものになっていた (7) ヨアシュ王は、自発的に神殿修復をしようと考えた(6)2.ヨアシュ王の命令によって神殿は無事修復された@王の修復資金収集命令は放置され答えられなかった王は祭司とレビ人を集めて「ユダの町々に行って、神殿を毎年修理するため、 すべてのイスラエル人から資金を集めよ。速やかに取りかかれ。」と命じた。(5) しかし、レビ人たちは速やかに取りかからなかった。王の命令にもかかわらず放置。(5) 王は、祭司長ヨヤダに「なぜあなたはレビ人に要求し、 モーセが定めた税を徴収しないのか。」と問い詰めた。(6) 王の命令が軽んじられている。 なぜ祭司長も祭司たちもレビ人も、速やかに取り掛からなかったのだろう? 資金徴収に民が反感を抱くのではないだろうか?という恐れや懸念があったのか? 神殿修復よりも優先していたことがあったのだろうか? やらなければいけないとは思いつつも、まだ先でいいという先延ばしの意識か? いずれにせよ、資金調達にそれほど乗り気でなかったことが伺える。 祭司ヨヤダにとってヨアシュ王は、子供のころから自分が指導してきた。 言ってみれば、自分の子供のような存在。目下的な意識だったのかもしれない。 それまでヨヤダから言われた通りに、信仰においても結婚においても 従ってやってきたのに、ここにきて王自身が自発的に考えてやろうとしていたので、 ヨヤダは、積極的になれなかったのかもしれない。Aヨアシュ王自らが動き献金が始められた命令が速やかに実行されなかったので、王自らが動いた。 王は箱を作らせ、神殿の門の外に置かせた(24:8) 「モーセが定めた税(出エ30:11-16)を納めよ!」(9)B民は喜んで多くの献金を献げ神殿は修復完了高官も民も皆喜んで溢れるまで箱に投げ入れた(10) 王の神殿修復に理解を示しただけでなく喜んで献金。それが毎日繰り返された ヨアシュ王以前は、アタルヤによるバアル教の影響があったにもかかわらず この時は、皆が主に対して喜んで捧げている 十分な献げ物の結果、作業者がそれを受取り神殿は元の状態になった それだけでなく、補強もなされている。前よりも良くなった(12-14)3.ひとりではなく民全体の献げ物が功を奏している@神殿の修理はヨアシュ王ひとりではできなかった神殿修復は、王ひとりでも工事作業者だけでもなく民全体の働きで修復された 民全体にモーセが定めた献金を募った →皆が喜んで献げた結果神殿は修復された もし一部の人であったら、修復できなかっただろう 神殿修復の意欲をもった王の心は、空回りすることなく 民全体にも、神殿修復のためにささげようという心が生じ 結果的に、民全体がひとつになって神殿が修復された。 はじめは祭司やレビ人たちが、速やかに行わなかったが いざ始めると、早かった。どんどん資金が集まって見事に完了した。A献金は自分のためではなく主のために献げられたこの時の民の献金には、主の神殿のために自らを捧げる信仰が現れている 自分の幸福を求めるためなどではなく、神の神殿のために私を捧げますという献身の思い 主のために皆が一つになって捧げることで、大きな祝福がもたらされている 献金というのは、自分の願い事がきかれるために捧げるものではなく 主に自分自身をささげる思いを、具体的に表してささげるもの 自分の願いが聞かれるために、ではなかったにもかかわらず、 最終的に、主の祝福が自分に返ってきているB王も祭司ヨヤダなしでは信仰を全うできなかったヨアシュ王は神殿修復というミッションを、見事に成し遂げているが 最後まで主に従い通したわけではなく、信仰から外れてしまった 祭司ヨヤダの死後、アシェラと偶像に仕えてしまい神の怒りを招いてしまった ひとりでは、神殿修復ができなかったのと同様、 ひとりで信仰を全うすることも、困難。 だから励まし合うことが重要になってくる→励まし合うことは必要不可欠むすび.私たちもひとりではなく皆で励まし合う信仰生活は個人ではなく皆で励まし合って進むもの 集会を怠ったりせず、むしろ励まし合いましょう。 ますます励まし合おうではありませんか。(ヘブ10:25) ひとりだけが、主に献げる思いでいるのではなく すべての人が、主にささげる思いで集まって神を礼拝し 互いに励まし合う。そこに神の教会が建てあげられてゆく