1.天国で永遠に生きる永遠の命が与えられた@永遠の命について世の人々はほとんど知らない「イエスを信じると『永遠の命』が与えられる」という こんな重要なことが学校教育では教えられていない 日々の新聞やテレビ、ラジオにも「まったくと言っていいほど」出てこない 世の中の一般の人々は、『永遠の命』を知らない 情報弱者というが『永遠の命』に関しては ほとんどの人が知らないままで、情報弱者になっているAイエスを知らないと永遠の命を知らない人生になるイエスを知らず永遠の命を知らない → 死が理解不能 死んだらどうなるのか? 一生の疑問、死ぬまでわからずじまい 死後の世界がわからないだけでなく、死が人生最大の恐怖のまま 死後の世界がわからず、ただただ死を恐れる人生 死ぬことが怖いというのは、世界中どこでも同じ 今が幸せだと感じるほど、それを破壊する死が怖くなる こんなに幸せなのに、死んだら何もかも終わってしまう 死にたくない!この幸せな生活がいつまでも続いてほしい! 本物の幸せは、死が解決しないことには得られない 死んだら消え去る幸せは、真の幸せではなく一時的な「幸せ擬(もど)き」Bイエスを信じると天国で永遠に生きる命が与えられるイエスを信じると、罪のゆるしと永遠の命が与えられる 死んでもその次がある。 死んだら天国で永遠の命をもって生きる 地上の人生の終わりである死は、通過点に過ぎない 地上における肉体の死は、何ら恐れるものではなくなる 死んだ後の永遠の命がわかれば、死は怖くなくなる 逆に永遠に生きる死後のことを、きちんと正しく考えることができる 死後の永遠の命のために、今何をしておけばよいのかがわかる 永遠の命が与えられると、今現在の一時的な地上の人生も充実する 永遠の命を知らずにいると、地上の人生も不安なまま虚しい人生2.永遠の命を生きる天国こそ本当の故郷@イエスは私たちのために天国に場所を用意している永遠の命で生きる天国とは、どのようなところなのか? あなたがたのために場所を用意したら〜(ヨハ14:3) 天に私が永遠に住むための場所が用意されている 天の住まいこそ永遠の究極の故郷 故郷に帰ると懐かしく、自分の本来の姿に戻る リラックスし、故郷の方言で話し、元々育ってきた本来の姿に戻る 天国こそ人間本来の姿に戻って生きる、究極の本来的生き方をする所 そこにイエスは私のために場所を用意していてくださっている
A地上では旅人天が真の故郷であるなら、地上は一時的な旅先に過ぎない 家を離れて、キャンプしているようなもの = テント住まいのよう テントを自宅の様に堅牢にしたり豪華にしたりしない テントは一時的 信仰の先人「地上ではよそ者仮住まい」と語っている 「自分たちが地上ではよそ者であり、 仮住まいの者であることを公に言い表したのです。」(ヘブ11:13)Bやがて帰ることになる天の故郷こそ熱望すべき場所信仰の先人たちは、地上よりも更にまさった天の故郷を熱望していた 「ところが実際は、彼らは更にまさった故郷、 すなわち天の故郷を熱望していたのです。」(へブ11:16) 天国=地上のような罪も病も涙もない完全な住まい 天国こそ、私たちが全身全霊をかけて望み求めるところ 地上には天国はない。地上で探しても、どこにもない3.天で永遠の命をもって生きることを目指して生きる@地上でどんな苦しみがあっても天で永遠に安息する罪の渦巻く地上では、苦しみが避けられない しかし最後に行きつく天では、永遠の安息が待っている 地上の苦しみは永遠には続かない一時的 天国は真の安息の場所であり、疲れることも悩み苦しむこともないA地上で行ったことが天で報いとなって返ってくる地上での命は一時的だが、その報いが天で返ってくる 地上の生活が、永遠の天での生活に大きな影響を与えることになる! 天で報いをたくさん受けられるような生き方が、必要Bいかに神の御心を行い隣人を愛して生きていくか天に残るのは信仰と希望と愛の3つ。最高は愛。 神は隣人を自分自身の様に愛せと言われた いかに隣人を愛したか→それが天での報いを決める 隣人は敵対してくるような人物かもしれない けれども、「敵を愛しなさい」なのである あんなに批判され侮辱され蔑まれたのに、愛する?その通り! やられっぱなしで、大損なのではなく 天で受ける報いが大きくなる 「わたしのためにののしられ、迫害され、 身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、 あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。 天には大きな報いがある。」(マタ5:11-12)むすび.永遠の命を与えられた者にふさわしく生きようこの世の、永遠の命を知らない生き方に流されないで 永遠の命を持つ者として、それにふさわしく生きていこう