2021年10月3日  「最終的にキリストが勝利する」
          ヨハネの黙示録 17章14節
1.神の正しい裁きによる悪魔との最後の戦いがある

@イエス・キリストと天の軍勢による戦い
 白馬にまたがるイエス・キリストは王の王、主の主。
 正義をもって裁かれる「誠実」で「真実」なお方。

 そして、わたしは天が開かれているのを見た。
 すると、見よ、白い馬が現れた。それに乗っている方は、
 「誠実」および「真実」と呼ばれて、正義をもって裁き、また戦われる。(黙示19:11)

 イエス・キリストが最終的に、悪の軍勢に打ち勝つ。
 イエス・キリストは、最後に悪に勝利するお方
 キリストは、決して負けることはない!

 この者どもは小羊と戦うが、小羊は主の主、王の王だから、
 彼らに打ち勝つ。小羊と共にいる者、召された者、選ばれた者、
 忠実な者たちもまた、勝利を収める。」(黙示17:14)

A悪魔側の獣と偽預言者は火の池に投げ込まれる
 悪を行っていたものたちは、神の激しい怒りによって滅び去る
 悪魔から権威を授けられていた獣は火の池に投げ込まれる
 偽預言者も獣と共に火の池に投げ込まれる

 獣の像を拝んでいた人々も、剣で殺されてしまう
 悪魔側は悪魔(サタン)を除いて、壊滅する
 悪魔側についていたら、最後は永遠の滅びに投げ込まれてしまう

B悪魔が縛られ底なしの淵に入れられ千年王国
 この戦いの後、悪魔はまだ火の池には入れられず、淵の中に投げ込まれる
 その後、悪魔の影響の及ばない平和な千年王国が到来する

 わたしはまた、イエスの証しと神の言葉のために、
 首をはねられた者たちの魂を見た。
 この者たちは、あの獣もその像も拝まず、
 額や手に獣の刻印を受けなかった。
 彼らは生き返って、キリストと共に千年の間統治した。黙示20:4(後半)

 キリストに従っていた者たちが、キリストと共に千年の間統治することになる

 その他の死者は、千年たつまで生き返らなかった。
 これが第一の復活である。
 第一の復活にあずかる者は、幸いな者、聖なる者である。
 この者たちに対して、第二の死は何の力もない。
 彼らは神とキリストの祭司となって、千年の間キリストと共に統治する。(黙示20:5-6)

2.悪魔は最終的に敗北し火の池に投げ込まれる

@千年王国が終わると悪魔は牢から解放される
 千年王国が終わると悪魔は牢から解放される
 悪魔は再びその悪をもって働きだす

A悪魔はゴグとマゴグを惑わし戦わせようとする
 悪魔は地の四方の民であるゴグとマゴグを惑わして
 神の陣営に戦いを挑ませようとする
 悪魔の最後のあがきともいうべき戦い

 この千年が終わると、サタンはその牢から解放され、
 地上の四方にいる諸国の民、ゴグとマゴグを惑わそうとして出て行き、
 彼らを集めて戦わせようとする。その数は海の砂のように多い。(黙示20:7-8)

B天から火が下り陣営は焼かれ悪魔は火の池に
 天からの火が悪魔側の陣営を焼き尽くす

 彼らは地上の広い場所に攻め上って行って、
 聖なる者たちの陣営と、愛された都とを囲んだ。
 すると、天から火が下って来て、彼らを焼き尽くした。(黙示20:9)

 悪魔は永遠に消えない火の池に投げ込まれる

 そして彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄の池に投げ込まれた。
 そこにはあの獣と偽預言者がいる。
 そして、この者どもは昼も夜も世々限りなく責めさいなまれる。(黙示20:10)

 悪魔の滅びは永遠であって二度と出てくることはない

3.最終的にイエスが勝利するので恐れる必要はない

@最後にどちらが勝つのかが重要
 将棋で、飛車角金銀取られても、相手玉を取れば勝つ
 格闘技で、どれだけパンチを食らっても、相手をKOすれば勝つ
 途中の優劣は無関係。最後が肝心。
 最後にだれが勝つのかを、しっかりと認識する必要

 最後に勝つのはイエス・キリストであって、悪魔ではない
 最後に残るのは正義であって、一切の悪は消え去る
 最後に残る方に従っている必要がある

Aどんなに隠れている悪も最後には暴かれ裁かれる
 神は正義のお方。悪に対しては激しく怒られる
 神の前に隠れることはできない
 どんな罪も悪も神は見ておられ最後に裁かれる

 どこにも主の目は注がれ善人をも悪人をも見ておられる。(箴言15:3)

 今は悪の方が強いように思えるかもしれない
 「なぜ悪人が富み栄え、権力を手中にしているのか?」
 この問いは旧約聖書の中にもみられるもの

 この空しい人生の日々にわたしはすべてを見極めた。
 善人がその善のゆえに滅びることもあり
 悪人がその悪のゆえに長らえることもある。(コヘ7:15)

 今は富み栄えていても、やがて裁かれて永遠に滅びることになる

B最後にキリストが勝つのだから安心していられる
 ドラマなどで、主人公の命が危険にさらされ
 今にも死にそうな場面にになったとしても、前に同じドラマを見ていて
 最後に主人公の命が助かることを知っていたら、

 まったく冷や冷やせずに、どんなに危険な場面でも
 「ここで間一髪助かるんだよなあ」などと思いながら
 最後まで、安心して見ていられる。

 最後に勝利するイエス・キリストを信じて生きるというのは
 それと同じ。この人生で、どんなに危うい状況に陥ったとしても
 最後に勝利するイエスが、私と共にいて下さって

 その時々に勝利を与えて下さり、最終的に大勝利を与えて下さる
 という結末に至るので、何も恐れることはない。
 安心していられる。

 嵐の中漂流していた船の中のパウロは、どうだったか?(使徒27:21)
 神がみ使いを通して「パウロ、恐れるな。
 あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。」と語られ助かる確信を持った。

 ほかの275人が嵐の中で恐れていたとしても、パウロは平気だった。
 パウロには無事に助かる最後がわかっていたから。
 どんなにひどい嵐であろうと、神が大丈夫と言われたら大丈夫

むすび.最後にイエス・キリストが勝つから安心しよう  私たちは必ず勝つ戦いを今戦っているから安心!  決して最後に負けることはない。イエスを信じている以上大丈夫!  決して負ける側については、ならない。その最後は永遠の滅び  悪は滅び、正しいイエス・キリストが最後に勝利する!