2021年8月22日  「心を合わせて共に戦う」
          フィリピの信徒への手紙 1章27〜30節
1.信仰の戦いはひとりでするものではない

@ひとりは弱い 〜ひとりの力には限界がある〜
 倒れた時助けてくれる友がいない(コヘ4:10)
 ダビデはひとりでゴリアトと戦ったが(サム上17:49-51)
 討ち取った後はイスラエルとユダの兵全体が戦った

A旧約聖書に見る民が一致した戦いに着目
 前後から攻められた時二手に分かれた(サ下10:6-)
 アラム人が私より強ければ、こちらを助けてくれ。
 互いに助け合い補い合って戦って勝利している

Bフィリピの信徒たちも皆で共に戦っていた
 誰かひとりが戦ってくれればいいのではない
 パウロだけが戦っているのを見ていただけではない
 実際に自分達もパウロと同じ戦いを共に戦っていた

2.信仰の戦いは心を合わせた戦い (2:2)

@信仰の戦いを共に戦うためには心を合わせる必要有
 心を合わせて福音の信仰のために共に戦っており
  同じ思いとなり同じ愛を抱き心を合わせ思いを一つ
 心を合わせるには「同じ思い」になる事が必要 (4:2)

A各人が聖霊によって立つ時思いは一つに一致する
 各人が聖霊によってキリストを心の中心に据える
 同じキリストの思いを持つときに一致が生まれる
 利己心・虚栄心を捨て去る キリストの愛で生きる

B心を合わせることが共に戦う戦いの準備となる
 私達はひとりでは負けやすいが共に戦うなら勝てる!
 共に戦って勝つためには心を合わせることが必須

3.どんなことがあっても反対に脅されてたじろがない

@十字架に敵対して歩んでいるものが多い (3:18)
 皆が罪人として生まれ生きている→十字架に敵対
 その考えは「この世のこと」だけ→自分の腹=神
 腹を満たす=欲望の飽くなき追及⇔聖霊による歩み

A更によこしまな働き手による教えの混乱に警戒 (3:2)
 「人の行いによらない十字架による救い」を守り抜く
 肉に頼らない:自分の実績や功績≠信仰による義
 ファリサイ派や律法学者たちは立派な行いを追及

B十字架に敵対する者や反対者とは真っ向から衝突
 脅して→十字架による救いを捨てさせようとする

むすび.聖霊によって一致し心を合わせて共に戦おう
 信仰を守り抜くことは戦いの連続だが必ず勝てる!