1.アサ王は弱さを認めて主により頼んだ @クシュ人ゼラの100万に対しアサ王率いる南王国は58万の兵 1.72倍。しかも戦車300両。圧倒的に差が付いていた 一方のアサ王側はユダ:武器は盾と槍,ベニヤミン:武器は小盾と弓 戦車については触れられていない。おそらくなかった? Aアサの祈りは自分たちの弱さを認める祈りだった 「無力な者にも分け隔てなく助けを与えてくださいます」という祈り 自分が無力だからこそ、このように祈った 勝利のために必要なことは「無力さ弱さを認めること」 Bアサは神を頼みとして御名によって大軍に向かった ダビデもゴリアトとの戦いで御名によって戦っている ダビデ「万軍の主の名によってお前に立ち向かう」(サ上17:45) ダビデの宣言と共通している。そして両方とも勝利している 勝利のために必要なことは、「力ある神に信頼を置くこと」 2.どんな人も自身の罪から来る弱さを持っている 勝利のために、まず「弱い自分を認める」というのは 逆のような感じがする。「自分は強いんだ」と自信を持つ方が 勝てるような気がする。しかし神無しの自信は敗北につながる 弱さを認めなければ、神の助けを求めない 自分の力だけでやってしまおうとしてしまう これが一番危険。人は誰もが弱さを持って生まれてきている @旧約聖書の人物は罪から来る弱さを持っていた カイン:なすべき良いことができず、ねたみから殺人へ ノア:酒に酔って裸で寝てしまうという醜態をさらした (創9:20) アブラハム&サラ:妻以外の女性ハガルによって子を持とうとした イサク:エサウを偏愛 ヤコブ:嘘によって祝福を兄から奪う モーセ:40歳の時自力でイスラエル民族を救おうとして殺人 サムソン:デリラという女性の迫りに負けた サウル:ねたみのゆえにダビデを殺そうとした ダビデ:バト・シェバとの姦通の罪を隠蔽しようと工作しウリヤを殺害 ソロモン:女性を次々と妻や側室に迎え入れた A新約聖書の人物にも罪から来る内面の弱さがあった ペトロ:イエスを知らないと嘘で保身 ヨハネとヤコブ:怒りを抑えられずサマリア人を火で滅ぼしたいと思った 弟子たち:誰が一番偉いか議論。当初イエスの復活を信じられなかった アナニアとサフィラ:称賛を求め,教会を欺く B彼らは弱さをもっていたから敗北していただけか? 罪を犯しやすい弱い人間の姿が如実に示されている 確かに彼らの中には、罪に敗北してそのまま人生を終えた人物もいる しかし、弱さから立ち直り勝利している人物もいる 私たちは自分の弱さに勝利した人物を模範にすることができる どうやって、弱さから脱却したのか? 答えは実に簡単。主に信頼し「主よ助けて下さい」と願っている 3.私たちは勝利のためにまず自分自身の弱さを認める @勝利のためにはまずアサ王のように弱さを認める 自分の弱さを知ることから始める。どんな弱さがあるか 聖書中の人物の弱さを自分も持っていないだろうか 「主よ、私も同じ弱さを持っています、助けて下さい」 Aアサ王のしたように主を頼みとし主の力に信頼する 「主よ、わたしたちを助けてください」 「主よ、あなたは力のある者にも無力な者にも 分け隔てなく助けを与えてくださいます。 わたしたちの神、主よ、わたしたちを助けてください。 わたしたちはあなたを頼みとし、 あなたの御名によってこの大軍に向かってやって来ました。」 Bアサ王のように主の力によって勝利できると信じる 主はその戦いに介入され、敵を撃って下さった 主はユダの目の前でクシュ人を撃たれた(歴下14:11) アサ王率いる兵士たちは、少なく無力だったにもかかわらず 完全に勝利できた 主が働かれると、完全に勝利できる そのことを確信する むすび.自分の弱さを認め主により頼んで勝利する 敗北の原因は自分の力を過信してしまう所にある パウロ「わたしは弱いときにこそ強い」(2コリ12:10) 弱さを認めることは、敗北ではなく勝利への第一歩なのだ 弱さを認めることを、恥じずに主により頼んで主によって勝利しよう