2021年3月14日  「アサ王の勝利」
          歴代志下 14章10節
1.アサ王は弱さを認めて主により頼んだ

@クシュ人ゼラの100万に対しアサ王率いる南王国は58万の兵
 1.72倍。しかも戦車300両。圧倒的に差が付いていた
 一方のアサ王側はユダ:武器は盾と槍,ベニヤミン:武器は小盾と弓
 戦車については触れられていない。おそらくなかった?

Aアサの祈りは自分たちの弱さを認める祈りだった
 「無力な者にも分け隔てなく助けを与えてくださいます」という祈り
 自分が無力だからこそ、このように祈った
 勝利のために必要なことは「無力さ弱さを認めること」

Bアサは神を頼みとして御名によって大軍に向かった
 ダビデもゴリアトとの戦いで御名によって戦っている
 ダビデ「万軍の主の名によってお前に立ち向かう」(サ上17:45)
 ダビデの宣言と共通している。そして両方とも勝利している

 勝利のために必要なことは、「力ある神に信頼を置くこと」

2.どんな人も自身の罪から来る弱さを持っている

 勝利のために、まず「弱い自分を認める」というのは
 逆のような感じがする。「自分は強いんだ」と自信を持つ方が
 勝てるような気がする。しかし神無しの自信は敗北につながる

 弱さを認めなければ、神の助けを求めない
 自分の力だけでやってしまおうとしてしまう
 これが一番危険。人は誰もが弱さを持って生まれてきている

@旧約聖書の人物は罪から来る弱さを持っていた
 カイン:なすべき良いことができず、ねたみから殺人へ
 ノア:酒に酔って裸で寝てしまうという醜態をさらした (創9:20)
 アブラハム&サラ:妻以外の女性ハガルによって子を持とうとした
 イサク:エサウを偏愛
 ヤコブ:嘘によって祝福を兄から奪う
 モーセ:40歳の時自力でイスラエル民族を救おうとして殺人
 サムソン:デリラという女性の迫りに負けた
 サウル:ねたみのゆえにダビデを殺そうとした
 ダビデ:バト・シェバとの姦通の罪を隠蔽しようと工作しウリヤを殺害
 ソロモン:女性を次々と妻や側室に迎え入れた

A新約聖書の人物にも罪から来る内面の弱さがあった
 ペトロ:イエスを知らないと嘘で保身
 ヨハネとヤコブ:怒りを抑えられずサマリア人を火で滅ぼしたいと思った
 弟子たち:誰が一番偉いか議論。当初イエスの復活を信じられなかった
 アナニアとサフィラ:称賛を求め,教会を欺く

B彼らは弱さをもっていたから敗北していただけか?
 罪を犯しやすい弱い人間の姿が如実に示されている
 確かに彼らの中には、罪に敗北してそのまま人生を終えた人物もいる
 しかし、弱さから立ち直り勝利している人物もいる

 私たちは自分の弱さに勝利した人物を模範にすることができる
 どうやって、弱さから脱却したのか?
 答えは実に簡単。主に信頼し「主よ助けて下さい」と願っている

3.私たちは勝利のためにまず自分自身の弱さを認める

@勝利のためにはまずアサ王のように弱さを認める
 自分の弱さを知ることから始める。どんな弱さがあるか
 聖書中の人物の弱さを自分も持っていないだろうか
 「主よ、私も同じ弱さを持っています、助けて下さい」

Aアサ王のしたように主を頼みとし主の力に信頼する
 「主よ、わたしたちを助けてください」

 「主よ、あなたは力のある者にも無力な者にも
  分け隔てなく助けを与えてくださいます。
  わたしたちの神、主よ、わたしたちを助けてください。
  わたしたちはあなたを頼みとし、
  あなたの御名によってこの大軍に向かってやって来ました。」

Bアサ王のように主の力によって勝利できると信じる
 主はその戦いに介入され、敵を撃って下さった
 主はユダの目の前でクシュ人を撃たれた(歴下14:11)
 アサ王率いる兵士たちは、少なく無力だったにもかかわらず
 完全に勝利できた

 主が働かれると、完全に勝利できる
 そのことを確信する

むすび.自分の弱さを認め主により頼んで勝利する
 敗北の原因は自分の力を過信してしまう所にある
 パウロ「わたしは弱いときにこそ強い」(2コリ12:10)
 弱さを認めることは、敗北ではなく勝利への第一歩なのだ
 弱さを認めることを、恥じずに主により頼んで主によって勝利しよう