1.サムソンひとりで1000人に立ち向かい勝利した
1.1 サムソンは縛り上げられペリシテ人に渡された
悪に陥ってしまったイスラエルは、40年間ペリシテ人の支配下に置かれ苦しめられた (13:1)
サムソンが神によって士師として選ばれ、ペリシテ人に対抗したが、
ペリシテ人は、サムソンを捕えようとしてユダに攻め上ってきた (15:9)
ユダの人々三千人は、サムソンをペリシテ人に引き渡した (15:11)
1.2 サムソンに主の霊が激しく降り縄目が解け自由にされた
サムソンは、新しい縄2本で縛られていたが、主の霊が降ると
綱が、焼けた糸のように解けてしまった。 (15:14)
主の霊によって自由になったサムソンは、攻めてきたペリシテ人と戦うことになった。
1.3 サムソンはろばのあご骨で戦い勝利した
サムソンは元々縛られていたから、剣や槍などの武器を持っていなかった。
そこにあったのは、死んでしまったろばの残骸。
サムソンは、そのろばのあご骨を手に取った。
ろばのあご骨など、武器になりようのない物だった。
聖書の中でも、ろばのあご骨を武器にして戦った記述はここにしかない。
なんの役にも立たなそうな、そのあご骨を武器にして
サムソンは、襲い掛かる1000人のペリシテ人を倒してしまった
2.サムソンは主の霊が激しく降った後勝利している
2.1 戦いの勝利の秘訣は主の霊
主の霊が降った直後に、勝利している (15:14)
それ以前にサムソンは、ライオンとも戦っているが、
そのライオンを、子山羊を裂くように裂いた時も主の霊が降った直後だった (14:6)
2.2 主の霊が去った時に敗北を喫した
主の霊が去った後に、今までと同じようにしようと思っても
無理だった。何もできなかった(16:20)
サムソンから主の霊が去ると、彼は弱くなり捕らえられてしまった
2.3 決してサムソン自身の力ではなかった
サムソン自身に、力があったわけではなかった
サムソンの尋常でない力は、主が与えられたものだった
主の霊が降ったからこそ、サムソンは勝利できた
生身のサムソンは、決して特別でも何でもないただのひとりの弱い人間だった。
3.主の霊が降る時ひとりでも充分勝利できる
3.1 サムソンの周囲にいた3000人は見守るだけだった
サムソンの戦いの時、周囲はどんな状況だったのか?
サムソンは、3000人の人に連れられて引き渡されたのだから、3000人いたはず。
サムソンが戦っていた時、3000人は何をしていたのか?
サムソンと共に戦っていたか?No!彼らは、サムソンを見守るだけだった
誰も手助けもしなければ、一緒に戦ってもいない。味方なのに見てるだけ。
3.2 サムソンの戦いはたった一人の戦いだった
ひとりで千人と戦って、普通は勝てるはずがなかった
しかし主の霊が降ると、そんな無理なことでも可能になることがわかる
サムソンは助けを求めず、最後まで単独で戦い続けた。
一緒に誰かいたら、喉が渇いた時水を持ってきてくれていたであろう。
誰もいなかったからこそ、神に向かって「渇いて死にそうだ」と祈っている。
助けも交代も何もない、孤独な戦いを戦い抜いたことがわかる。
3.3 神の力がサムソンに宿りサムソンはそれを使った
たったひとりで、何ができるだろうか?
「助けてくれる人がそばにいなければ、何もできない。ひとりでは無理!」ではなく
神の助けがある時、ひとりでも大きな働きができることがわかる。
それは神の力が与えられるから。神の力は、人が相対的に弱かろうが強かろうが関係ない。
絶対的に強い力。その力をサムソンはただ使っただけ。
「怪力を持っていたサムソン」でなく、「神の力を与えられそれを使ったサムソン」なのである。
むすび.たったひとりでも神の力で勝利できる!
私たちは人を殺す戦いではなく、人を生かす戦いを戦っている。
永遠の滅びへと向かっている人々に、イエスを伝え永遠の命へ導く戦いを戦っている。
その戦いを、普段の生活の場ではひとりで戦っている。
私たちは職場や地域などで、ただひとりのクリスチャンである場合が多い。
礼拝では一緒に集うが、普段はたったひとりの戦いを戦っている。
ひとりでも、神の力が与えられるなら戦いに勝てる。
今日も神の力を求め、神の力を着せられ、神の力で戦い抜いて行こう!
弱くても大丈夫!神が限りなく強いのだから!