2021年1月31日  「少人数での勝利」
          士師記 7章1〜7節
1.神はどのように勝利を与えられたか?
 1.1 臆病で弱いギデオンを選んで勝利を与えられた
  a) 元々ギデオンは、雄々しく強い人物ではなかった
 ・ギデオンが神から召された時、どういう状態だったか?  彼は言った。  「わたしの主よ、お願いします。しかし、どうすればイスラエルを救うことができましょう。   わたしの一族はマナセの中でも最も貧弱なものです。   それにわたしは家族の中でいちばん年下の者です。」(士師6:15)  マナセ部族の中でも最も貧弱なもの、家族の中で最年少とみ使いに語っている  ・み使いが現れた時のギデオンは何をしていたか?  さて、主の御使いが来て、オフラにあるテレビンの木の下に座った。  これはアビエゼルの人ヨアシュのものであった。その子ギデオンは、  ミディアン人に奪われるのを免れるため、酒ぶねの中で小麦を打っていた。(士師6:11)  ミディアン人に奪われるのを恐れて、酒ぶねの中に隠れて小麦を打っていた。  ミディアン人が奪いに来たら、小麦を奪われないように  ひとりででも戦ってやろうなどとは、決して思っていなかった。  ・み使いの語りかけを聞いた直後のギデオンは?  ギデオンは、この方が主の御使いであることを悟った。ギデオンは言った。  「ああ、主なる神よ。わたしは、なんと顔と顔を合わせて主の御使いを見てしまいました。」  主は彼に言われた。「安心せよ。恐れるな。あなたが死ぬことはない。」(士師6:22-23)  恐れている。  ・いざ戦いを目前にしたときのギデオンは?  その夜、主は彼に言われた。  「起きて敵陣に下って行け。わたしは彼らをあなたの手に渡す。   もし下って行くのが恐ろしいなら、従者プラを連れて敵陣に下り、   彼らが何を話し合っているかを聞け。そうすればあなたの手に力が加わり、   敵陣の中に下って行くことができる。」   彼は従者プラを連れて、敵陣の武装兵のいる前線に下って行った。(士師7:9-11)  主「もし恐ろしいなら...敵陣に下り...」ギデオンは下っていった  やはりギデオンの心には「下っていくのは恐ろしい」という思いがあった  ここからもギデオンが、決して勇敢な力強い人だったわけではなかったことがわかる  ギデオンが、元々勇敢な力強い人だったらどうだったか?  勝利した時に、神の力ではなく「ギデオンの力だ」となっていたかもしれない。  神に栄光が返されるのではなく、ギデオンに栄光が行ってしまう可能性があった。
  b) 神はあえて弱い者を選ばれる
 神は勇敢で雄々しい人物ではなく、決して勇敢だとは言えないような人物を選ばれた。  神はその力を世に示すために、世の無学な者を選び、世の無力な者、無に等しい者を選ばれる。  そのことを通して、世の知恵ある者、力ある者、地位のある者よりも、  神の方がはるかに、超越的に知恵と力と権威があることを示される。  ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、  力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。  また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、  身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。  それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。(1コリ1:27-29)  神は、人が誇りやすいものであることをよくご存知である。  神の前で誇ることがないように、あえて弱い者を選ばれる。  弱い者に神の力を着せて用いてくださる。  なぜあの人があんなに力強いのか?あんなに弱かったのになぜか?  「それこそ神の力なのだ!神があの人を強くしておられるのだ!」と証しとなるように。
  c) 無学なペトロが選ばれている
 一介の漁師であったペトロも、無学だったのに議会で大胆に聖書を引用して語った。(使徒4:8-12)  議員や他の者たちは、ペトロとヨハネの大胆な態度を見、  しかも二人が無学な普通の人であることを知って驚き、  また、イエスと一緒にいた者であるということも分かった。  しかし、足をいやしていただいた人がそばに立っているのを見ては、  ひと言も言い返せなかった。(使徒4:13-14)  無学だったからこそ、ペトロに神が知識と知恵を与えていると認めざるを得なかった。
 1.2 神はギデオンに、彼の父のもっている偶像を破壊させた後で勝利を与えられた
 その夜、主はギデオンに言われた。  「あなたの父の若い雄牛一頭、すなわち七歳になる第二の若い牛を連れ出し、   あなたの父のものであるバアルの祭壇を壊し、その傍らのアシェラ像を切り倒せ。   (士師6:25)  もし偶像がそのままであったならどうだったか?  ギデオンが戦いに勝利して帰ってきた時に、人々が  「ギデオンの父が『バアルの祭壇』をもっていたからだ!」  「ギデオンの父が『アシェラ像』をもっていたからだ!」  「バアルの力だ!アシェラの力だ!」とバアルやアシェラに栄光を帰してしまう可能性があった  ギデオンに勝利を与えた神に栄光を返すのではなく、  神でも何でもない、石や木の像である偶像に栄光が行く可能性があった  神はそうならないように、まずギデオンに父親のもっている偶像を破壊させた。  ギデオンは、偶像を破壊した。  ギデオンは召し使いの中から十人を選び、主がお命じになったとおりにした。  だが、父の家族と町の人々を恐れて日中を避け、夜中にこれを行った。(士師6:27)  怖がりのギデオンは人々を恐れて夜中に実行した。  偶像を破壊した後、ギデオンは戦いに行くことになった  そして神は、ギデオンたちに勝利を与えられた
 1.3 神は実際に戦いに出ていく人数をあり得ない程絞られて勝利を与えられた
 a) 敵は数えきれないほどの大軍だった  敵の数はイナゴのように大軍でラクダの数も数えきれない程だった。  ミディアン人、アマレク人、東方の諸民族は、いなごのように数多く、平野に横たわっていた。  らくだも海辺の砂のように数多く、数えきれなかった。(士師7:12)  敵陣の武装兵は、ミディアン人、アマレク人、東方の諸民族から構成されていた連合軍。  かたやこちらは、連合してくれる相手などないイスラエル単独軍。  はじめにギデオンの元に集まったのは、32000人。決して少なくはない。  おそらくは、それでもミディアン人とアマレク人などの敵の連合軍と比べれば比較にならなかったことだろう。  b) 神は大軍相手に32000人の兵士たちを300人に絞られた  神「あなたの率いる民は多過ぎる」(7:2)  神「恐れおののいている者は皆帰り、ギレアドの山を去れ」(7:3)  この時、22000人が帰った。(7:3)  22000÷32000=68.75% が帰っていった。7割近くが恐れていたことになる。  彼らはギデオンの元には来たが、やはり恐ろしかった。  残りの1万人もさらに絞られることになる。  神「民はまだ多過ぎる」  神「膝をついてかがんで水を飲むものはすべて別にしなさい」  9700人は、膝をついて水を飲んでいた。  9700÷10000=97% が膝をついて水をのんだことになる。  97%といったら、普通ならほぼ全員といっても良いほど。  その民の糧食と角笛は三百人が受け取った。  彼はすべてのイスラエル人をそれぞれ自分の天幕に帰らせたが、  その三百人だけは引き留めておいた。ミディアン人の陣営は下に広がる平野にあった。(士師7:8)  残りの300人というのは、1万人の3%。  はじめの32000人からしたら、0.9375%で1%にも満たない人数。  敵の大軍の数に比べたら、その比率はさらに0%に近づく。  c) 神が敵を同士討ちにさせられて逃走させた  物理的に戦って勝利することは、普通に考えたら不可能な戦いだったが  神が敵同士を同士討ちにされて、ギデオン側に勝利を与えられた。  三百人が角笛を吹くと、  主は、敵の陣営の至るところで、同士討ちを起こされ、  その軍勢はツェレラのベト・シタまで、またタバトの近くのアベル・メホラの境まで逃走した。(士師7:22)  もし32000人のままっだたらどうだったか?  自分の手ですくいを勝ち取ったと言っただろう(7:2)
2.大事なのは神に栄光が返される事
 2.1 勝利した後が問題であることがわかる
 私たちは、神の力がないままでは、負けてしまう弱い存在であることを認める  イエス・キリストの十字架の血潮によって、神との断絶の原因だった罪が赦され  神との断絶がなくなり、神の力が一気に私たちに注がれるようになった。  いとも簡単に、神はその力を私たちに与えることができる  いとも簡単に、神は私たちを勝利へと導くことが可能  しかし、勝利した後私たちが悪くならないように神は配慮される  勝利した後に、しばしば人は問題を起こしている  【ペトロの告白の例】  シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。  すると、イエスはお答えになった。  「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、  人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。あなたはペトロ。  わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。  わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。  あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。  あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」(マタ16:16-19)  ペトロは他の弟子たちはしなかったような、素晴らしい告白をイエスに対してしている。  しかしこの直後、高ぶって失敗している。  このときから、イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、  長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、  三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。  すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。  「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」  イエスは振り向いてペトロに言われた。  「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。   神のことを思わず、人間のことを思っている。」(マタ16:21-23)
 2.2 人はうまくいった時の方が罪を犯しやすい
 「自分がすごかったんだ!私は何てすごいのか!」  神ではなく自分に栄光を帰してしまい、高ぶりやすい  神の力だったことを悟りにくく、また忘れやすい。
 2.3 せっかくの勝利が無に帰してしまわないように
 勝利の後、神に栄光を返さずに神以外に栄光が行ってしまうと逆効果になる。  そうならないように神は働かれる。弱い者を選んだり…  彼の力ではなく、神の力が働いたのだ!  彼の知恵ではなく、神が知恵を与えたのだ!  彼の権威ではなく、神の権威によったのだ!
3.神が勝利を与えるのを待たれる原因がそこにある
 3.1 自分の心にまだ高ぶりが残っていないか?
 私ならできる!ほかの人はできなくても私なら…  人と比較して優越感を抱いていないだろうか?  パウロは誇りになるものを糞土のように思った
 3.2 神以外のものに依存していないだろうか?
 勝利の原因を神以外に帰すような何かがないか?  PCやネットがあれば勝利できる!等。それが偶像に
 3.3 人数が多いから勝利できると考えていないか?
 数の多さで判断しがち。多ければ勝てると考える  神の力は人の数によらない。少人数でも充分。
むすび.人や事物ではなく神の力こそが勝利の源
 人や事物にではなく神に栄光を帰す姿勢が大切  勝利の力は100%神から来るという信仰を持とう!